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【古谷経衡】日韓のこれから NHKのこれから[桜H22/8/25]

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33degree




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月亭可朝 - 嘆きのボイン

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JA - Jessica Crystal Child - ジェシカ - クリスタル・チャイルド 2008年12月



























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ニューギニア

太平洋戦争中、日本兵の90%以上が亡くなり、飢餓地獄といわれたニューギニア。だが、現地の人たちの多数が犠牲になったこと、まったくといっていいほど知られてこなかった。戦後半世紀以上たって、被害者本人や遺族が語り始めた戦争被害の記憶は、信じられないほど悲惨だった。

「この悲惨な出来事は、わたしの目の前で起きたのです。日本兵がわたしの母をレイプし、そのあと殴り殺したのです。母は体をばらばらに切断され、皮をはがされ、肉片として軒先に吊るされ、この飯ごうでゆでられました」
バラス・ブカヒンさん(70代半ば・男性)は一点を見つめ、悲痛な面持ちで語った。足元には母親がゆでられたという黒い飯ごうが置かれている。彼の周りを数十人の村民が囲み、聞き入っていた。
バラスさんが証言したのは、東部パプアニューギニアのセピック川流域のマラハオ村での集会だった。パプアの山間部の人たちは、半世紀前までカレンダーを気にしない暮らしをしていたため、正確な日付はわからないが、彼の母親が悲惨な死を遂げたのは、戦況などから1944年から45年にかけてだろう。
「家族が日本兵に切り殺されて飯ごうでゆでられ、あげくに食べられた」という証言は、バラスさんだけではなく複数の人から聞かされた。
42年3月以降、東部パプアニューギニアは日本兵とアメリカ・オーストラリア連合軍の戦場となった。日本軍は制海空権を失い、食料補給路を断たれて孤立。44年8月の「アイタぺの決戦」の敗退から1年後の敗戦まで、日本軍はトリセリ山系とプリンス・アレキサンダー山系の南側の山間部に立てこもり、食料を自給しながらの戦いを強いられた。東部ニューギニアに上陸した日本軍16万人中、帰還したのは1万人ほど。兵の消耗率は約94%にのぼった。日本軍によるパプアの人々の悲劇の大半は、この1年間に起こったという。
日本軍の帰還兵の証言に、極度の飢餓状態で日本兵が同僚の遺体の肉を食べたということはほとんど知られていなかった。
記者は今年8月、現地で戦争被害の究明と補償問題に取り組むガブリエル・ラク氏と、彼の運動を支援する「日本カトリック正義と平和協議会」所属の修道女、清水靖子さんらと1週間、かつて日本軍が立てこもった山間地に点在する奥地の7村を訪問した。雨期には川になるようなデコボコ道を四輪駆動車で分け入っての取材だった。インタビューした被害者や目撃者は約2000人。被害を申し立てている人たちのごく一部だ。
清水さんは今年5月、日本軍による虐殺と人肉食についての被害者側パプアニューギニア人の証言を採録した「海と魚と激戦区」を出版した。
記者が訪ねた村々では30~70人の村人が集まり、証言者は人々の輪の真ん中に座り、証言する。現地の標準語ビジン語の証言をラク氏が英語に通訳し、それを記録した。最初に訪れたのは北部の小都市ウエワクから車で約5時間のクンジギニ村だった。
戦争中20代後半だったマンピー・ワサさん(男性)は妹とともに、伏し目がちに、こう語った。
「その日の午後、長男は日本兵に命じられてサゴヤシを取りに行きました。翌朝になっても戻らないので、日本兵が兵舎にしていた教会に様子を見に行くと、日本兵はみんな寝ていました。台所ではナベが火に掛けてあったので、フタを開けてみると人肉で、兄が食べられたとすぐにわかりました。肉がこそぎ落とされた兄の骨を集めて持ち帰り、埋葬しました」
二人は兄が煮られていたという教会の広場で、この証言をした。
ウエワクの約2百人の集会ではロレンス・イフィンブイさん(70代・男性)が、
「日本兵にブタを持ってこなければ母親を殺すと脅されたので、ブタを工面して持っていくと、日本兵は母親をレイプし、殺しました。それも胸だけをカットして、ゆでて食べるという方法です。母は出血多量で死ぬまで、そこに放置されました」
と語った。
「日本兵の宿舎でセックスの相手をさせられました。兵隊の階級には関係なく、多くの人の相手をしました。約10人ぐらいの未婚女性がいましたが、疲れてできないと拒否して殺された者もいる。第一キャプテンの名はウエハラ、第二はワギモトでした。わたしは幸い宿舎から逃げ出せました。何ヶ月かわからないけど、長い間でした」
というのはウルゥプ村のカミ・ドマラさん。証言する彼女に寄り添う夫は日本軍のケンペイ(憲兵)として働かされ、暴行を受けたという。
だが、ある村ではレイプされたという女性が証言する段階になって、「村人に囲まれては話せない」と証言を辞退する場面もあった。
訪ねた村の中には親日的な村もあった。日本軍の表彰状や腕章を見せ、思い出をうれしそうに語る人たちもいた。短期間だが村で簡単な学校を開き、文字や農漁業技術などを教えた日本兵もいたという。このギャップには信じられないものがある。
つい最近まで、パプアニューギニア人が、日本兵による人肉食の被害について公に語る機会はなかったと言っていい。悲惨な体験が語られるようになったのは、ラク氏らが94年、「日本軍による戦争被害に補償を求める会」を結成してからだ。
ラク氏は94年、日本のボランティア団体や研究者、弁護士らによって開催された「戦後補償国際フォーラム」に参加するため来日。日本軍の命令でパプア人約100人が虐殺されたティンブンケ事件(45年5月ごろ)を証言した。ラク氏の母親が事件に関連したレイプの被害者だった。
「この時、アジア各地の犠牲者のグループと交流し、いろいろと学びました。自分だけでなく、たくさんの被害者がいる東部パプアニューギニア全体の被害を調査してみようと思ったんです。勧告の元従軍慰安婦の人たちの存在に勇気づけられた」(ラク氏)
ラク氏はパプア第二の町レイ在住の地元有力者。日本から帰国すると、さっそく運動を開始した。昨年、地元のラジオと新聞で、日本に補償を要求するために、戦争被害を「補償を求める会」に登録するよう呼びかけたのをきっかけに、登録者が激増した。自宅を事務所にして約100人のボランティアを動員し、各地での聞き取り調査と被害登録を続けている。
「身内が悲惨な出来事にあった人は、何年たってもその記憶に苦しめられる。夜は悪夢に、昼もふとした瞬間に記憶が蘇るんです。それが原因で精神的な問題を抱え、早死にする人もいる。わたしの母がそうでした」(ラク氏)

補償には政府間の交渉が必要?
すでに被害登録は約6万5000人にのぼるという。ちなみに現在のパプアの人口は390万人。登録者は約60人に1人になる(登録者はニューギニア島東部だけではなくラバウルなど周辺の島々を合わせた数)。
最も多いのは「武器や食料の運搬に駆り出された」約2万6000人だが、人肉食犠牲者1817人、胸を切断され死亡した女性19人、性器を蛮刀でえぐられて殺された女性8人、強姦されて殺害された女性5164人など、とても信じられないような数字が並ぶ。
はたして、この被害の実態が被害者側の証言だけで証明できるのだろうか。おもにオーストラリアとアメリカの資料をもとにニューギニア戦線での日本軍の人肉食を検証した著作「知られざる戦争犯罪」のある田中利幸メルボルン大学教員は、
「東京裁判でオーストラリア側が日本軍の人肉食を戦争犯罪として明示したのに、審理からは抜け落ちた。オーストラリアでは、食べられたと見られる自国兵の死体について約100のリポートが出ている。だが、戦闘中なので目撃証言が乏しく、裁判は難しかったようだ。これらの史料に、わずかだが現地の人たちの人肉食被害が出てくる。現地の人たちについては集落のなかでの出来事なので、むしろ目撃者は多かったのでは」
と指摘する。
韓国やフィリピンなどの日本軍元従軍慰安婦の人たちに見舞金を送っている「女性のためのアジア平和国民基金」に基金の支出の可能性を取材した。基金事務局は、
「パプアのケースは検討に十分値はするでしょう。しかし、適用には政府間の交渉が前提です。あちら側の公的機関か政府が認定した民間団体などに被害を確定してもらう必要がある」
と言うが、戦後補償の専門家は「日本政府は従軍慰安婦の被害が太平洋諸島地域に拡大していた実態を認めたくなく、日本とパプアの政府間交渉は難しい」と指摘する。
ラク氏らが今年8月、パプアの日本大使館に被害実態の文書を提出したが、「日本政府に伝えると言ったきり、その後返事はない」という。
ラク氏は、こう訴える。
「あの戦争はパプア人の戦争ではない。日本とオーストラリアの戦争だ。これまでパプア人の正式な犠牲者数も出されてなく、犠牲者に対してパプア政府も何もしてくれなかった。深刻な体験を下人も語る場所がなかった。でも、いま被害者たちが語り始めている。日本人は、この深刻な犠牲を知って、どうこたえるか、われわれは待っている」


今年の一月の末に、一人の軍曹がニューギニアのウエワクから帰って来た。
   彼の属する千八百名の大隊が内地を発ったのは昭和十六年の夏だった、そして今生きて帰って
   来ているのは、この三十三になる一人の軍曹だけである。軍曹は未だに神奈川県伊勢原町の
   叔父さんの家に臥せた切りでいる。
   『危ない!伏せっ』『あいつも食べるぞ!あれで飯盒に何杯になるかな』深夜の彼の寝言に
   叔父さんはゾッとするという。
   家人は忘れられない、彼が帰って来た時のことを、叔父さんの家の鶏が庭先で菜っ葉を、
   ついばんでいた、これを見た彼の表情は地嶽から這い出て来た男の顔だった。
   『人間でさえ菜っ葉一切れも食えなかったんだ!鶏の奴!鶏の奴!』そういった時は、もう彼は
   出刃で鶏の首を斬って、その斬り口から生血を啜っていた!。



蜘蛛で食糧喧嘩・飯の幻影に次々と斃る

   軍曹の話は断片的であるが『始めは南支にいました。転々と移動して、ニューギニアの
   ナッソー湾に上陸したのが、確か十九年の三月三日です。』戦いは既に我に不利であった。
   ポポイに、フンガイアに、更にアイタぺに、ホーランジアにも敵は上がって来た。
   兵隊は『神助』に一縷の望みを繋いでいた。サラモアの戦いは、この『神助』を恃んでの
   最後の戦いであり、神の助けはなかった。そして、このサラモアの戦いから日本軍の
   敗走また敗走が始まったのである。サラケット山を越えてオーライへ、このサラケット山こそ、
   正に地獄の玄関だったのだ。

   一年半の飢餓地獄。落ちのびて行く部隊に自給自足などの余裕はあるはずもなかった。
   兵隊は最早『兵隊』ではなく、てんでんばらばらの餓鬼になり果てていた。『餓鬼』を
   疫病が責め苛んだ。『米が食べたい、米を食べて死にたい』そういって、おいおいと泣いた。
   まだいくらか元気が残っている戦友がサゴ椰子の木の芯でお粥のようなものを作って食べさせた。
   『ああ米だ!』病兵は、それでもかすかな最後の微笑みを浮かべて死んで行った。
   病兵は一日に百メートルか二百メートルしか移動できなかった。ある日、身の動きもとれない
   三人の病兵が草原に寝かされた。夕方には三人とも死んでいた。死体を運び去った跡に
   三人の人間の形をした草のない所が淋しく残っていた。身体を動かせないままに、
   手に触れる限りの草を食って、せめて、もう一日を生き永らえようとしたのだった。

   兵隊は蜘蛛一匹で喧嘩をした。飢餓の世界とは、すべてのものが食べられるものに見える
   世界である。痩せ衰えた兵隊が一匹の蜘蛛にとびつき、争い掴み合う姿はこの世のものではない。
   兵隊がこんな生活をしている時に、まだ、こそこそ食べるものを隠して食っている将校達も
   おりました。軍曹は、そういう体力のある者、腕力のある者のみに生存の権利があった、
   食糧漁りには部隊長も自分で出かけなければ食うことが出来なかった。

   翌朝は、また移動という日の夕刻のことだった。部隊には二十名の重患がいた。部隊長は
   この二十名に自決を迫った。患者たちは『どうせ自分らは死にます。だが息のある間だけは、
   どうか生かしておいて下さい。』といって泣いた。部隊長は二挺の銃を置いて去った。
   翌朝、弱り果てた身体で移動してゆく兵隊たちは、この二十名の重患の戦友が思い思いの
   ところを撃って自決しているのを見た。『やがて自分たちにも同じ運命の日がやって来る』
   みんな祖国のことは、諦めていた。司令官の訓示といえば『玉砕』だけだった。
   死ぬのは嫌だ。どっちを見ても、みんな、めそめそと泣いてばかりいるような日もあった。
   軍人勅諭の奉唱をすると勅諭の代わりに上官の悪口を叫ぶ者も出てきた。
   作戦命令違反は軍法会議に掛けられ銃殺である。違反者の検挙だけは峻烈だった。
   だが検挙された兵隊は『飯を食わせろ。飯さえ食わせたら何度でも斬り込んでやる』と逆襲した。
   何時も大した処罰は受けなかった。復讐が恐しかったからである。


糧秣土産に個人感状授与

   敵の糧秣倉庫に忍び込み、二・三日も居続けて師団長に食べものを土産に持って帰った
   兵隊があった。『一に本人の沈着なる行動により』という個人感状が出た。
   その代わり作戦に絶対必要な無電機を持って来た兵隊は『こんなもの何の役に立つ!』と
   怒鳴りつけられた。気持を引き立たせるためというので演芸会をやらされたことがあった。
   虎蔵のうまいのが部隊長の悪口をうなった。芝居では兵隊が中隊長を殺して、
   それを煮て食う場面まで演じた。部隊長は一番前で苦い顔をして、それを見ていた。

   部隊長は『今に友軍機が救援に来る』と口癖のように言った。笑わせやがる、敵機ばかりだ、
   敵機はビラを撒いた。『抗戦をやめよ』と書いてあった。日本の俘虜が楽し気に撞球など
   している写真も載っていた。兵隊は俘虜になる不名誉など考えなかった。
   みんな俘虜の生活を羨しがった。逃亡兵がだんだん増えていった、生きている兵隊は不思議に
   銃だけは持っていた。身を護るためより、食糧を採るための道具と言った方が良かった。
   射撃の上手な者なら銃一挺で相当の小鳥が獲れた、だが弾丸がなかった小鳥一羽で弾丸十発、
   そんな闇商売も行われた。飢えと病気で次々と死んで行った。野戦病院のそばには、
   いつも大きな穴が掘られていた。毎日毎日が『ああ俺はまだ生きている』と
   思う一日、一日であった。西へ西への敗走、こんな兵隊でもウエワクでは、まだ戦わせられた。


終戦に叫ぶ瀕死の万歳

   不憫なのは動きのとれない病兵であった。たこ壺を掘り、みんな無理やりに、その中に
   入れられ、銃を握らせられた。これが彼らの死守すべき第一線であり墓穴でもあったのだ。
   闘いは無論敗れた。たこ壷の病兵は置いてけぼりだった。生き残った兵隊は山に隠れた。
   八月十五日『日本軍は戦闘を中止せり、抗戦をやめよ』という放送を聞いた。
   瀕死の兵隊たちに『抗戦をやめよ』とは何という皮肉な言葉だっただろう。すでに武器なく
   弾丸なく、一年半を飢餓地獄に彷徨して来た兵隊は、只、茫然としただけであった。
   九月二日、友軍から『終戦』を聞いた。『ああ、やつぱりほんとうだった』『ばんざーい』
   みんな万歳を叫んだ。ニューギニアの、苦しみ抜いた第一線において、戦争は骨と皮になった
   兵隊の、心からの万歳によって終ったのである。『五十七回目のマラリヤです。
   浦賀へ帰ってもらった金が六十円、そんなことはどうでもいい、自分は松井隆美少将の
   ことが忘れられません。この人だけは立派な方でした。全責任は自分が持つといって
   ニューギニアに残っておられます。ああ戦争はいやだ』軍曹はこう言って溜息をついた。



その1)を記述したのが昨年11月。原題は「ニューギニア戦について」であったが、
   年が明けて陸上自衛隊のイラク派遣が現実になると、隊員が叔父のように戦没者となるの
   ではと胸騒ぎがしてならず、「餓鬼道ニューギニア敗走記」の感想を聞く余裕もない侭に、
   「反戦平和」を強く訴えねばならなくなった。題名も変更する。

   石破防衛庁長官は言う「世の中には生命の危険があっても、やらねばならぬ大事がある。」
   と。彼に限らず古今の権力者・為政者は「犠牲を恐れていては何も出来ない。国益のためだ。」
   として、戦争に至る原因を募らせ、結果的には勝者も敗者も無いような惨禍を、もたらし
   続けたのである。一口に犠牲と言うが先の大戦での犠牲者の数をご存知だろうか。
   約六千五百万人。その内,民間人が四千万人以上、傷病者の数はその何倍にも達した。
   世界の人口が二十二億人と言われた時代である。

   犠牲と呼ぶには余りにも厖大な損失ではないか。それぞれの国家や民族の唱える国益や
   大義の達成を武力に訴えた結果である。人命のみならず国を焦土にしてである。
   それほどまでもして、得なければならぬ国益、守らねばならぬ大義とは何なのか。
   「国のために死んで呉れ」と言われ、「国家の危急に際して死地に赴くは男子の本懐」と
   護国の鬼と化した人もあったが、老幼婦女子を含む大部分の人達は不条理・理不尽の侭、
   殺戮されたのである。一兵卒だった私の叔父もそうである。

   古来「武」というものは、如何しても外に出て干戈を交えようとする。「剣によって立つものは
   剣によって滅ぶ」だが、その剣をも持たないと宣言したのが平和憲法である。
   広島・長崎と人類初の核爆弾を浴びたことからも、国際紛争の解決手段として武力を行使せず、
   そのための陸海空一切の戦力を保有しないと人類初の宣言をし国是としたのである。
   そんな理想が貫けるのか、軍隊の無い独立国なんて成り立つのかとの議論は敗戦時に国民
   学校五年生だった私にも制定の過程で聞こえて来たが、施行直前の昭和22年春、新制中学
   生となった最初の授業を「新しい憲法のはなし」と題する黄色い表紙の冊子を与えられて
   受けた。戦争の放棄、主権在民、基本的人権が柱なのだと。空襲での焼野原の中で、鉄筋
   コンクリートの部分だけが辛うじて焼残った窓ガラスも不十分な教室で、空腹を抱えながら、
   それこそ小さな肝に銘じるようにである。

   それから僅か三年。朝鮮戦争が勃発して、国内治安のために警察予備隊が発足。これが、
   やがて自衛隊となり、軍隊でない、戦力でないが自衛権はあるとの論議を繰り替えしつつ
   世界有数の軍備と化した。そうならざるを得ない国際情勢の変化への対応として分からぬ
   こともないと思いもした。日本本土の専守防衛と、そのための抑止力ならばと。
   けれども、そこまでが平和憲法に対する拡大解釈の限界である。そして自衛隊そのものは
   訓練と国内の災害救助活動に励み、若しもの場合でも丸裸でいるより、薄物をまとってい
   る位の存在感を示していた。昭和36年。日米安保条約改定時の岸首相は「自衛隊の海外
   派兵は有り得ない。」40年代に入っても佐藤首相は「絶対に無い」と断言していた。
   銃は持っても闘わざる平和部隊だったのである。

   私達、先の大戦の戦没者遺族と生還者の有志は、政府規模で行われない戦没者の遺骨の
   収集を細々と続け、遂に昭和が終り平成に入り、堪り兼ねて自衛隊の若者達の協力をと
   願ったことがある。実現しなかったが、自衛隊が一旦海外に出たら遺骨収集と言う平和活動
   にしても、若しも現地で発砲事件などが起きてはと諦め、肉親達の遺骨の大部分が戦場に
   風化するのにも耐えているのである。その自衛隊が戦場であるイラクへ派遣され、屍と
   なりかねないのである。「命令だから行く」との隊員と家族の心底を思うと胸が張り裂ける。

   先の大戦後六十年近く、戦乱は絶えず、国際情勢の変化は目まぐるしく、一国では生きら
   れない政治・経済の影響と連帯。ましてや日本の石油消費の大部分を依存するイラクに
   関する米英側への追随は、北朝鮮の脅威への対応としても必要だと言われる。
   そうしないと日本は生き延びることができないと。それでも敢て言う!海外派兵は、先の
   大戦で勝った大国の半ば宿命的行動なのだと。惨敗して平和憲法を掲げた国の執るべき道
   では無い。

   三百年近い鎖国と言う太平の眠りから,米国によって揺り起こされた東洋の小国日本は、
   日清・日露戦争に辛勝して植民地化を免れた。日露講和条約を斡旋したのは米国であるが、
   その米国とやがては戦わざるを得ない道を辿り始める。日露戦争は国力の限りを尽くし、
   最早、継続出来ない局面で米国の斡旋で終結したのだが、以後、富国強兵の大日本帝国を
   目指し、東亜の盟主として欧米列強に伍して覇権争いに加わらざるを得なくなり、次第に
   仮想敵国視される。

   その結果、自存自衛のためと第二次世界大戦に突入する。米国側からは太平洋戦争と呼ばれ、
   日本側からは大東亜共栄圏建設のための、大東亜戦争であった。勝てる戦争ではない認識は
   軍部にもあった。特に海軍にあった。山本連合艦隊司令長官は「開戦となれば半年や
   一年は暴れてみせるが、その後の見通しは立たない。早期講和を」と言い、永野軍令部長は
   開戦の決定に「起つも亡国!起たざるも亡国」と言った。「窮鼠猫を噛む」「いちか八か」
   「起たずはして自滅するよりは起って玉砕を!」「死中に活を!」中世からの日本の思想
   (武士道)でもあり「生きて虜囚の,辱めを受けず」と戦陣訓にも反映される。

   太平洋各地の戦闘は、正にその連続であり、叔父の戦死したニューギニアのアイタぺ作戦
   などはその代表的な例である。武力を使わずして自滅する。屈伏することを許さなかった
   のである。大量殺戮が容易となった第一次世界大戦も中心的立場でなくとも経験しながら
   である。その結果、太平洋戦争の惨敗となり、反戦平和を、不戦を誓ったのである。
   戦没者への熱き思いは、そこにあった筈である。「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返し
   ませんから」と広島の原爆碑に刻んだのである。




惨敗した国は二度と戦争を起こさない、その誘因となる外地へ軍隊を送らない。勝った国は
   勝ったが故に戦争を繰り返す。半ば宿命であり必然である道理を私に教えて呉れたのは、
   識者ではなく、田舎町の商家兼農家の働き者の父方の祖母だった。大阪大空襲で家を焼か
   れ、父の実家に疎開して終戦を迎えた私達に祖母は「アメリカから火を持って来て、家を焼
   かれたけれども、日本は負けて良かったのや。もう戦争はせずとも好いのやから。勝ってたら
   又、戦争をすることになる。アメリカは勝ったがために又、戦争をするやろう。」と。
   その通りだった。朝鮮戦争、ベトナム戦争、カンボジア戦争。その何れにも介入して非人道
   極まる化学兵器まで使用し、自らも幾萬もの兵士を失い、結果は負けるか、引分けであった。

   共産化の防止という大義名分は、主義主張を超えた民族の地力には勝てなかったのである。
   六年前にホーチミン市の戦争記念館を訪れたが、その惨禍の展示に目を覆った。戦争当時、
   国務長官だったマクナマラは「ベトナム戦争は大きな誤りだった。」と認めている。
   それでも権力者が代われば、戦争をする。相手に、如何なる惨禍を及ぼそうと、本土が
   空襲され、上陸した敵に蹂躙されたことの無い国には、その痛みが分らないのである。
   武力を抑止力に留めず行使し続け、遂には三年前の9・11テロに至る。目には目を、
   歯には歯を、暴力の争いには限りがない。テロは憎むべき行為であるが、そのテロを受けた
   ことへの反省はなく、むしろ逆上気味で報復戦争を起こすが、それでは決してテロの絶滅には
   ならない。

   イラクでも同じような過ちが犯された。バクダット陥落は戦争の終りでなく、特攻テロと
   言うゲリラ戦の始まりだった。米英並みの武力を持たない国や組織は、それしか戦法が
   ないのである。姿がなく影のように忍び寄る戦法ほど怖いものはない。
   小泉首相は、バクダット陥落をイラク戦の終結と早合点して、人道復興支援の陸上自衛隊の
   派遣を約束したのである。違憲にはならないと。終結どころかゲリラ戦が激化し、二人の
   外交官が殺されても方針を変えず、安全対策が万全ならばと時期を繰り延ばしたが、姿なき
   相手への安全対策の万全は有り得ぬことが自明の上で「危険を承知で行って呉れ」と。
   戦死者が出れば「彼らは世界と日本の平和と安全と将来のための尊い犠牲だ。」と言うで
   あろう。それともイラク復興特別措置法による非戦闘地域での事件・事故と言うのか。
   イラクは戦場である。戦闘に法律は無い。殺されるか、殺すかである。

   先の大戦の末期に生まれた小泉首相は、戦争の悲惨を心底から理解していない。「戦後の
   日本の平和と自由と繁栄は戦没者の犠牲によることを忘れてはならない。」との彼の発言は
   無数の戦没者の犠牲と呼ぶには余りにも大きな代価を払い、辛うじて生き残った国民によって
   既に実践されたのである。それこそ耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、日本人の
   特性である勤勉なる努力と高い技術力で、高度経済成長を続け、歴史上未曾有な平和と
   自由と繁栄の国家社会を現出したのである。

   それは祖国が敗れるとも、或いは敗れることによって、平和が訪れ、再生することを
   願って、かけがえのない命を失った戦没者と辛うじて生き残った者の想像を超えるもので
   あった。「国敗れて山河在り。」「負けるが勝ち」。敗戦の痛手は余りにも大きかったが
   それに懲りて戦争をしなくとも良い平和の継続がもたらされたのである。かけがえのない
   ものを失い、それまでになかったものを得たのである。そのこと自体が、かけがえのない
   ことであった筈である。

   ところが「高度成長」は良いが、それが「過度膨張」して崩壊に至る。太平洋戦争緒戦の
   連戦連勝が戦線を拡大し過ぎて維持できず総崩れとなり、敗北を招いたようにである。
   昭和元禄、殆んどの家庭が中産階級になったなどと言ってる間はまだしも、物と金に溺れ
   過ぎ、土地神話に躍り、一億総不動産屋。天井知らずの株高に狂奔、遂にバブル経済とな
   り、その崩壊を招く。拡げ過ぎた屏風は倒れる。太平洋戦争緒戦の勝利に酔い、高度経済
   成長の景気に浮かれた国民も良くないが、講和の機会を無視して惨敗。安定成長の方策を
   先送りして経済敗戦を招いた指導者達の罪は万死に値する。小泉首相と言えども例外では
   ない。彼の言う改革は、政治家としての反省と贖罪を忘れた転嫁であってはならない。

   経済のみならず、教育も宗教も道徳も、総てがバブル化した。九条と並んで平和憲法の柱の
   基本的人権は「これを乱用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを
   利用する責任を負う」との条項を忘れ、恣意の侭に拡張的人権として乱用されるに至った。
   「己の欲する処に従って矩を越えず」は死語となった。
   こんな筈ではなかったとの忸怩たる思いは、戦後六十年近くを生き抜いた人々の胸に在る
   筈である。平和の礎とされる戦没者に顔向けのできることではないのだ。
   行過ぎた自由や繁栄よりも、戦没者達の最大の願いは恒久平和ではなかったか!。同胞が
   再び銃を執り海外の戦地に赴くことでは断じてなかった筈だ!。そのために不戦を誓った
   のである。今、イラク問題で米英に追随せずに、国連中心の国際協力の道を選んでこそ、
   そしてそのために生じる不利益や困難に耐えることこそ、戦没者の霊を安んじることに
   なるのだと訴えたい。国際連盟を脱退して戦争への道を辿り、敗戦国となった教訓を忘れ、
   国連を無視して戦争を起こした超大国に追随して、再び戦没者を出すなら、これほどの
   先の大戦の戦没者に対する裏切りと冒涜はない。無数の戦没者と、その中の私の叔父を
   二度殺すな!と叫びたい。

   歳月の経過による戦争体験の風化は恐ろしいもので、戦没者遺族を含む戦争体験者が
   少なくなり、戦争を知らない人達が指導者となり、戦争を知らない国民が傍観する。仮に
   自衛隊員に死傷者が出なくとも、一旦開いた戦地への海外派兵は、憲法を改悪してまでも
   繰返されるだろう。死傷者が出るまで、いや死傷者が出てもである。
   イラクが「居楽」になるのは何年もかかるだろう。外国の軍隊が撤退した後のことである。

   九年前の阪神大震災の犠牲者への熱き思いと同じ思いを、六十年近く前に終結した大戦の
   戦没者に馳せることが出来たなら、国民世論となってイラク派兵は避けられる、中止させ
   られるのではと痛切に思う。戦没者遺族にとって六十年前の悲劇は昨日のことであり、
   今日・明日に繰返せることではない。戦争を知らない子孫のために風化した戦争犠牲者の
   遺骨に、新たな戦没者の屍を重ねる如き悲劇は、絶対避けねばならないと強く訴えたい!。



平成16年1月記



戦没者の遺骨収集を急げ!

   平成2年12月7日付の朝日新聞朝刊読者欄「語りあうページ」に
   「南海の密林に眠る遺骨収集を早急に」と題する、先の大戦の帰還兵で
当時70歳の奈良市の西 節也氏の投稿が掲載された。(以下全文)


   「日本がハワイ真珠湾を奇襲し、太平洋戦争に突入した四十九年前の昭和十六年十二月八日。
   ラジオが終日、宣戦布告のニュースを告げ、軍艦マーチが鳴り響き、東条首相が盛んに
   戦意高揚を訴えていた。
   
   時局の要請とかで、学校の修業年限が三ヶ月短縮され、我々は年末に繰上げ卒業を控えていた。
   丁度、その八日に学生の臨時徴兵検査があり、終生忘れ得ぬ日となった。
    昭和十八年の早々から、敗戦までを、私は生きて帰れぬと言われた地獄の戦場ニューギニア作戦に
   一年、ルソン島作戦に二年間従軍した。マニラ東方の山岳地帯を敗走中、米軍機のビラで降伏を
   知り、餓死寸前に投降した。(この時点で歩兵一個大隊の生存者僅か二十五人)文字通り
   九死に一生を得て敗戦の年の暮れ、復員した。

   両作戦の悲惨な結末は既に詳しく報道されている。悪性のマラリアと栄養失調で痩せ衰えた将兵が、
   飢餓の世界をさまよう姿は、全く生地獄さながらの様相だった。
   ニューギニア作戦では、こうした事態を予期されながら敢えて進攻を強行した、当時の軍の
   作戦参謀の知能程度と良識を疑った。私と共に同地に赴いた学友七人は遂に全員帰らず、
   今も南海の密林に眠る。
   本欄でも度々、遺骨収集を訴える記事を拝見したが、最近これが実行された話を聞かない。
   
   戦後、既に半世紀近く経過した。遺骨収集は片手間では出来ないし、これ以上の延引は到底許され
   ない。そこで、政府に非武装の自衛隊員を中東ではなく、過去の激戦地の遺骨収集に派遣すること
   を計画し早急に実行するよう提案する。
   十二月八日を迎える度に、今日の自由と繁栄を享受することなく、空しく果てた戦友を追悼し、
   戦争の非業を憎み、平和の有難さをかみしみている。」
   
   西 節也氏の多くの学友と戦友を失い、奇跡的に生還された立場の発言に共感した私は
   「戦没者の遺骨収集活動・自衛隊派遣案に共感」と題して「語り合うページ」に投稿。
   同年12月13日付で掲載された。(以下全文)
   「南海の密林に眠る遺骨収集を早急に」(七日付)と題する西 節也さんの非武装の自衛隊員を
   中東でなく、太平洋の戦跡に遺骨収集のため派遣せよ、との提案に強い共感を覚えた。
   私の母方のただ一人の叔父は、二十五歳の大学講師の身で中国戦線に送られた。
   
   ニューギニアに転戦させられ、昭和十九年八月、同島最後の決戦であったアイタぺで頭部に弾丸を
   受けて果てた。戦死公報があったのは終戦の翌年であった。戦災で 家を失い、一人息子の叔父の
   帰還のみを頼みとしていた祖父母は相次いで亡くなり、大阪の老舗であった家も絶えた。
   今、肉親として残るのは車いすの身障者である私だけである。
   
     車いすこぎても訪わん吾が叔父の征きて還らぬ南海の島
   
   海外旅行者が年間一千万人を超えるという。その大部分の人たちが訪れる東南アジア、太平洋地域
   こそ、無数の白骨の残る戦跡であり、文字通り慟哭の島、鎮魂の海なのである。車いすの身であっ
   ても、何とかニューギニアを訪ねて未だに風雨に曝される名も知らぬ戦士の遺骨の、一片でも持ち
   帰り、叔父の骨としてその墓に埋めたいと念願して果たせぬ侭昭和が終った。
   
      ニューギニアに果てたる叔父の遺骨さえ還らぬ侭に昭和終りぬ
   
   戦没者の遺骨収集は、政府規模によるのでなく、遺族や西さんのような生還者や宗教関係者に
   よる現地慰霊祭などによって、小規模に行われているに過ぎない。無謀な侵略戦争の海外派兵に
   よって、無数の敵味方の若い命と現地の人の生命が奪われたのである。
   
   私たち遺族と生還者に加えて戦争を知らぬ世代で構成される自衛隊員を、遺骨収集に派遣すべきだ。
   そして、戦争の惨禍と平和の尊さを身をもって知り、その使命が平和憲法第九条に基ずく専守防衛に
   あることを改めて認識すべきだと思う。来年は真珠湾攻撃五十年である。」
   
   西 節也さんの訴えは、正に太平洋戦争の帰還兵の心情を代表するものであり、私の共感は戦没者
   遺族の心情を代弁するものであり、この「語り合うページ」以来、十四年間を経過した今も116万体の
   遺骨が放置された侭なのである。陸に埋没、海に水没して収集不可能なのも少なくないが、
   問題は戦跡を訪れての、遺骨収集にどれだけの義務感が持たれ、鎮魂・慰霊をして、再び戦わざる
   ことを誓い守ることに務めたかである。

   残念ながら、それは無数の戦友の死を見て来た帰還兵と戦没者遺家族の悲願として、細々と実施
   されたに過ぎない。敗戦と言う歴史上、未曾有の現実は生き残った者が生き続けることが精一杯で、
   広大な戦跡に、風雨に曝された侭の遺骨を収集する余裕はなかったが、戦後十年を経て昭和三十年代。
   高度経済成長期に入り、海外旅行が始まり、東京オリンピック、更に四十年代半ばの
   大阪万博に至っても、政府・民間挙げての本格的な遺骨収集には、至らなかったのである。
   海外旅行もオリンピックも万博も結構なことであるが、そこにもたらされた平和と自由と繁栄のための
   無数の犠牲者の骨を拾うと言う責務を、政府も国民も軽んじたのである。
   
   特攻隊員だったとされる俳優の鶴田 浩二氏が「万国博に浮かれるよりも、スコツプを持って
   南冥の島に戦友の遺骨を掘りに行きたい。」と発言していた。私は「羽田や伊丹空港に戦没者遺骨
   収集基金箱を設置して海外旅行者の協力を訴えるべき」と提案したことがある。だが現実は、
   日本に対する多額の賠償請求を放棄した貧しい開発途上国への買春旅行でもあった。
   やがて日本列島改造・昭和元禄に浮かれ、石油ショックで少しは頭を冷やしたのも束の間、遂には
   バブル景気に狂奔する。戦没者の遺骨収集と言う国家的・国民的責務は経済的には可能であっても
   本格化しなかったのである。
   
   叔父が戦死した最悪の戦場ニューギニアにも漸く生還者や遺家族が訪れる回数が増えだしたのは、
   昭和四十年代に入ってからである、戦後二十年余りを経て漸く訪れることのできた人々の目に
   映つたのは餓死した侭、自決した侭、白骨化した遺骸だったのである。
   木の根元で寄りかかって息絶え、木の成長と共にその侭、遺骸が枝に乗つかっている凄惨この上ない
   鬼気迫る状景だったのである。私は悲願が叶って平成6年に漸くニューギニアを訪れたが、同島に
   着くまでの六日間、船内に備えられたニューギニア戦関係の写真集で、それを見て思わず目を覆った。
   如何に敗戦国とは言え、犠牲者の遺骨を、そんな侭で放置してバブル経済に狂奔したことが
   浅ましく恥ずかしかった。こんなことで世界に先駆けて反戦平和を貫き通すことができるのかと。
   
   そんな思いも空しく世界に戦乱は絶えず、しかも、他国間の戦争も局地紛争も経済と同様、グロー
   バルな影響が交戦国(勢力)の一方に加担し、一方の敵となる立場を執らざるを得なくなる道を
   辿っている。西 節也さんの訴えの「自衛隊の派遣先は中東で無く、太平洋戦跡の遺骨収集に」と
   あるのは、イラクのクエート侵攻を指摘したものである。
   その訴えも空しく、その後の自衛隊の海外派遣は、エスカレートするばかり、遂には陸上自衛隊の
   派遣、多国籍軍への加入となり、日本はテロ戦術勢力の攻撃目標となった。サマーワの陸自基地に
   ロケットの至近弾が落ちるのである。そこで戦没者を出しては、先の大戦の戦没者の未だ収集されざる
   遺骨の上に屍を重ねるようなものである。
   
   来年で戦後六十年。言語に絶する惨禍と犠牲にも拘らず、戦後処理の最大の責務である遺骨収集が
   不十分な侭、戦争体験が風化されて日本は世界の戦争勢力に加担している。戦没者遺族として、
   戦争体験を子孫に如何にして伝えてよいのか。言いようのない無力感と虚無感を覚える。
   反戦平和を最も強く訴える立場も、顧みられない気がしてならない。
   
   それでも尚、訴えるしかない。耳を傾ける人が僅かでも命ある限り訴え続けねばならない。
   西 節也さんは本年84歳。平成2年当時と同じ訴えを本年6月13日付、朝日新聞「声」欄に
   「海外派遣より戦争の後始末」と題して掲載されている。六十年前の戦争体験者が今も尚、同じ訴えを
   繰り返さねばならぬ苦衷を、心して受け止めて欲しい。以下全文を掲載させて頂く。
   
   「戦後60年が近い。戦争の悲惨な体験を語り継ぐ生存者も少なくなり、戦争を知らない世代が
   少なくなり、戦争を知らない世代が海外派兵の是非を論じている。だが我ら老兵は、自滅を強い
   られた多くの戦友の無念を伝えずにはおられない。当時の我が国は聖戦と称し、米英の実力を
   侮った結果敗れた。戦死者は230万人、その六割強が餓死や病死と言われる。軍首脳が最も重要な
   補給を無視し、海外派兵を強行したためである。だが、このお粗末な作戦の責任は問われず権力に
   操られた若者の末路こそ哀れだ。しかも遺骨の大半が今も異郷の風に曝されている現実には、ご遺
   族も納得できるものではないだろう。

   小泉首相は戦没者に敬意と感謝の念を捧げると言ってA級戦犯合祀の靖国神社に参拝するが、異郷
   には、感謝どころか謝罪もされずに遺骨が放置されている。今又、多国籍軍に参加すると言うが、
   イラク派遣より、先の戦争の後始末を急ぐべきではないか。総理は自衛隊を伴い、悲劇の戦場を
   訪ね遺骨の一片でも持ち帰って頂きたい。帰国の日を待つ彼らの戦争は未だに終わっていない。」
   

平成16年8月記




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近未来予想図 〜 船井幸雄 〜





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ツァイトガイスト ザイトガイスト アデンダム

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王菲Faye Wong-原谅自己Forgive Myself (live) riversidelily
















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響き・・・



ひょっとすると響きは 夢の技法を超える 



最高の術や技なのかもしれない



人の話を聴く時に 



人間の意識は 何を話したかという内容を 理解する事の方に 重点が置かれている



どんな内容の事を言ったのか 



何を話したのか 



その意味を理解する事ばかりに 

心が囚われてしまってる



その現象は 長年 施されてきた教育という 名の行為で起こったこと



でもね 



人間の奥底の潜在意識は 何を言ったかなんて内容はさらさら重視していない 



単純な言葉の意味と 



響き 



それだけを聴き分ける 



そして潜在意識を最も掴むのは 



響き



響き それ如何で 人はどうにでも動かせる 」(Mちゃんの言葉)



さて

今日は 



Mちゃん猫ちゃんから聴いた 



呪の最高極地



音の技法 

響きの技法について述べようと想います

(・ω・)



Mちゃん 猫ちゃん曰く 



響きの能力には二通りあり



そのひとつが 響きを聴き分ける力 



この響きを聴くことで 



相手の魂の本質 

相手が使っている術すらも見抜くことができるのだそうな



例えば 夢の世界で 吸血鬼が善人を装ったり



自分の親しい人に化けて 近づいてきたとします



しかし彼らの発する声の響き 



それだけに着目して 



それ以外の情報を排すると 



その響きに 化けたり 



もしくは善人を装って近づいてきたこと



果ては 彼らの魂の基点が何を意図していたかと言う事まで



全て丸裸に さらけ出されてしまうそうです

(・・;)



響き 

それのみに注目する 



これは夢の世界の響きを聴くだけでなく



現実世界の会話を聴いても 同様の効果を得られるのだとか 



Mちゃんはこう言っています



まず 

相手の声の響きに着目せよと 



 「



響き 



ただ純粋に

それだけに着目する



声は隠せないから 



その人の存在を 



敵が どんなに親しげな友人に見せようとも 

どんなに 忠勤を尽くす部下に装おうとも



声の響きだけで 



猫のように 直に聴く事で



その本質を 見抜くことができるから   



何故なら この世の全ては響きで構成されてるから



全ては 響きにより 生ずり

全ては 響きに 示される 



言いかえれば  響きには その人間の全人格 全ての想いがのっているという事



どんなに 声質を変えようとも 

どんなに感情に仮面をかぶせようとも



その声の響きには 

声質を変えた事 



仮面をかぶっていることすらも 



くっきりと鮮やかに のってくるの   」 



φ(・・;)・・・・・・・・・・・



「 最も卑しい吸血鬼は 



自分から悪事を為したりしない



搾取も 人任せ 



人にやらせるの



自分は凄く良い人を装いながら 



そうした搾取者の被害者の一人を装ってる



でも裏側で 搾取者達の潜在意識を操ってるの



そういう魂は  周囲を地獄にするのがとても大好きなの 



人々が苦しみ 嘆き悲しみ のたうち回る様に 歓びのエネルギーを感じ 



ひとり悦に浸るの



世間から良い人 



真面目な人 



騙されてる人 



その様に見られてる人間が 



実は潜在意識の奥の世界から 



影から 



搾取者を動かしてきた例を多く見たの  」



φ(・・;)・・・・・・・





例えば  あるアイドルグループのプロデューサーの妻



彼女は仕草 表情ひとつ見ても 清廉な心の持主に見え 



ケチのつけどころが無い



用心深い吸血鬼すら 



彼女を良い女 純真な女 運をもたらす女だと 褒めそやしていた



でも彼女の声の響きには 魂の性格の卑しさが現れてた 



周囲の女性達に地獄を見せて 

ひとり優越感に浸り 喜ぶ奇怪な老婆の姿が 」



φ(・・;)・・・・・・・・・



「 その女は 蜘蛛の巣をいっぱい張っていた



そしてその蜘蛛の巣で 縁を繋ぎ 



自分の夫を出世させてきた



夫は元々何もない男だった 



搾取癖 盗癖が 少し在るだけの 小役人タイプだった



その女と会っていなければ おそらく普通に一生を終えていた 」



φ(・・;)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 



「 

彼を出世させる理由はただ一つ 



地獄を覗きたかったの 



自分は 高見に位置しながら



それ以外の人間が 嘆き悲しむ姿が見たかった  



彼女と知り合って その夫は 女衒の様な仕事をはじめた



女達と業界の実力者 権力者達との仲を取り持って 



紹介する玉が切れると 



今度は多くの未成年を 芸能界に引きづり込み

次々に娼婦にしたてあげた 



女性達の 潜在意識が発する 苦しみ 叫び 嘆き 哀しみを



その女は楽しんでいた



吸血鬼の最も下賤な輩は  



自分だけ純朴を装いながら 



夢で木端達を操縦して 地獄をこの世に現出させる事を 趣味としてる奴ら 」



φ(・・;)





その女は 他人の地獄を見るのが好きだったけど



自分は 凄く良い人にも見られたかったの



そうすればより多くを騙せるし 結果的により多くの人を地獄に落せるから 



だから周囲には 夫にぎゅうぎゅうにされて 籠の鳥状態に落されてる妻を装った



周囲の人は 彼女をこう想ってる



夫を出世させたあげまんなのに 



夫はあんなことをして 浮気までされまくって



運を吸われて 可哀想に



そして消耗しきったその姿が  



哀れをそそると ね 」



φ(・・;)



「 でも潜在意識の奥底で 



その夫を女衒になるように仕向けたのは 



確実に その女



彼女の響きには それが現れてたから



魂の基点は まんま底意地の悪い 老婆の姿だった 



声のトーンで  潜在意識の浅い部分まで 善人を装ってる様も 見えた 



周囲と人の縁を繋ぎ 



その縁で夫に運を付け替え 



夫に 周囲の生命線にならせて 



多くの運の楯を いっぱい作ってた



そして 夫の悪事が明るみに出て 

全てが暴露された時にも



自分は何も知らなかった妻 

騙された妻 

虐げられてきた妻を装おうとしている  



そうすれば自分の被害も 最小限に食い止めらると想ってるから  」



φ(・・;)・・・・・・・・・・





権力者に操られた 良い人と言うイメージを持つ人が 



実は全て裏で操っていたことは多いの  



昭○天皇もそう



世間的な評価では 彼は何も知らず 軍部に 騙されて 



巻き込まれた哀れな戦争指導者と見られてる 



でも実際は 彼自体が戦争を望んでいた  



彼の声の響きには 



背筋が凍る位の おぞましい響きが 奥にこめられていた 」



φ(・・;)・・・・・・・・・・





第一 本当に良い人が 戦争を起こすと想う? 



子供だって その意味を知っている 



彼は戦後 先の戦争について テレビ記者から質問され



戦争について悔みを述べる発言をしてた時



戦争を語る声の響きには  発言内容とまったく違う音の響きが 現れてたの



震えが出てた 



戦争を楽しんでいた歓びがね 



人が間近で焼かれる光景を想いながら 



自分の名前を呼びながら死んでいく兵士のエネルギーを感じながら  楽しんでいた 



そんな光景が 響きから読みとれたの 」



((((((((φ(・・;))))))))))))))))))))))))))) 





そしてその響きには こうも現れていた



彼は最初から負けることを知りながら 



軍人達の潜在意識を操作して 戦争を引き起こしたと 」



φ(・・;)・・・・・・・・

エッ?負けるのに・・・

でも何故? 





おそらくこう言うこと



彼は 若い時分  欧州の王族達 吸血鬼達に その魂を取り込まれたの



滞在時に 快の状態を与えられ 



彼らのような国に憧れ  日本も同じような環境にしたいと想った 



西欧化したがったの



でも日本には 小うるさい勢力がいっぱいあった 



自分に忠義を尽くしながらも 



伝統の名のもとに 権益を守る事を計り 



あれこれと注進する 邪魔なご意見番がね



彼らを一掃する為に 



軍人達を操り 欧米との戦争を引き起こした



負ける事は最初から重々承知だった  



官僚は基本 序列の犬だから



強いものには巻かれる 



負ければ 木端役人達が 欧米の言いなりになることも わかっていた



欧米の吸血鬼達が望む 国の形にすることがね 



今も 木端政治家や役人は 欧米に逆らえないのは



あの時 負けた記憶が在るから 」



((((φ(・・;))))))))



でっでも

戦争に負けたら

自分の身が危うくなる危険性とか考えなかったの・・・



「だって欧米の吸血鬼からすれば



一国を手土産に携える 子分ができるようなものじゃない



その大事な子分を 滅ぼすわけはない



彼らだって 天皇が居なくなれば



日本に 言う事を 聴かせられなくなることを  重々承知してた筈



それに 戦争責任を負わせる悪役も



開戦前から 用意されていた



皇族の首相は 開戦前に辞め  代わりに首相の座に着いたのが  



あの天皇に忠義を尽くした  戦争馬鹿だった   」



φ(・・;)・・・・・・



「驚くことはないわ 



古代から 天皇家は 家臣に争わせたり スケープゴートにしながら 



自分の意を叶えることが 常套手段だったから



家臣の一派に 自分の脅威となる者が居たら 



自分は中立を装いつつ 



別な家臣を炊きつけ 争わせ 取り除かせていた 



彼らは 序列というシステムを作った事

さらに助けを請う事で 



序列の下位の潜在意識を 快の状態に落しこみ 操作する事に長けていた



そしてどんなに忠誠を尽くそうが 



どんなに命を捧げようが



所詮 駒にしか見ない 」



φ(・・;)・・・・・・・・・・・・・・・・・・  



まあ 以上の意見は 

Mちゃんの独断と偏見によるものです

<(_ _)>



でも話を聞くうちに 



なんだかMAHAOも腑におちる気がします

(・・;)



当時 天皇が開戦直前に任命した首相は 

確かにバリバリの開戦派 (・・;)



後世の解釈では 開戦派の軍人を首相に据える事で



昭和天皇は戦争を防ぎたかったとありますが



でももし戦争を防ぎたいなら 



パタパタの鳩派を 据えると想いました 



説明に どうも不自然な感じがしたからです



それに本当に良い人で



戦争を防ぎたいのなら  おそらく命に変えても 戦争を防ぐでしょう

その権限はありましたし 国民にそう訴えかけもできた筈です

(・・;)



開戦前の動きを見ても



最初から 負けるのを知りながら 戦争を起こしていた節もあります

(・・;)

でも その本音が いくら国の体制を変えるためだったとはいえ



その為に あれだけ多大な犠牲を強いて 戦争を引き起こしたのだとしたら



ましてや Mちゃんの言うとおり



その潜在意識の奥底で 多くの人が命を落とすさまを 楽しんでたとしたら  

そして軍人達にだけ 責任を負わせ 

自分は操られていた 良い人に見せたのだとしたら

(-“-) 

MAHAO とっても怒りを覚えます



さて次回 音の技法



猫猫ちゃん達に聴いた響きを聴く力について 述べたいと想います

(・ω・)

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第三の選択




































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五井野正博士 インタータイム経済学

プロローグ
 経済に興味を持っている人は数多くいる。しかし経済学となると興味を持つ人は・・・これは特殊な人達になるかも知れない。
 つまり、評論家は別として大蔵省や日銀のエリートになるつもりでない限り、現代の情報過多の世界経済を理解するには過去の経済学はかなり時代遅れの役に立たない様な学問になっているからだ。
 経済は人間を対象としている生き物の様で、自然科学の様に固定した法則というものがあるわけでもない。
 もし、一世紀も二世紀も前の経済学と言ったら、日本で言えば軍国社会や武士社会の頃の経済学理論となってしまう。
 だから五十年も百年も昔の経済理論にしがみついていたとしたら、そこから導かれる結果は閉塞感だけのトライアングルだけになってしまうのではないだろうか。
 そもそも経済学を学び、それを行使しようと考える事自体が為政者側の論理であり、ピラミッドの頂点に立つ思いで、底辺なる生産会社と消費・労働者の二つの軸を動かそうとするものである。
 例えば今の日本は世界でも最も最新式の二つの軸輪が眼前の広大な土地を求めてどんどんスピードを上げ、その勢いでつい調子に乗ってメクラ運転で空ぶかしして高いビルや高い山を急激に登ろうとした途端に一挙に転落して軸を折って円輪を破損した様なものである。
 そこに、ケインズと言う旧式の軸輪の運転書を持ってきて、為政者が燃料を口八兆、手八兆と、これでもかとぶち込んで無理矢理走らせようとするものだから、軸輪が傷み過ぎてピラミッド本体の借金の重みで、軸が次々と潰れてしまった様なものである。
 この様にして万人が経済と関わり、経済の中で生活を共にして動いているのだから、経済学はもっと面白くなくてはいけない。
 それが難解でつまらない数字の序列では経営に才ある人はすぐに敬遠してしまうだろう。
 大金を持った事も稼いだ事もない学生がこれ又、社会の何たるかを知らない内に、さも世界の経済や国の経済を学び得たかの様に考え、経済理論によって社会や国を自分の手の中で動かし得ると錯覚まで生じて官僚の中に入っていくとすれば、難解こそが競争相手をはねのけて優越感と自信にひたれるのだろう。
  しかし、そんな配慮あっての理由から経済学者がわざわざ経済学を難解にしている訳ではないはずだ。

 経営学は経営に成功した人に学べばそれなりの学びがいがあるけれども、では経済学も経済学者から学べばいいのだろうか?
 学生は大学で自動的に経済学教授から学ぶシステムがあるから良いが、一般人は大学に学びに行けないし、かといって代わりに経済学者の難解な経済学概論などを最後まで読んで、果たして現実の経済を見定める事が出来るのか?
 又、国の政治家や経済官僚達は経済学者から国の経済や地方の経済を学ぶよりむしろ経済評論家の意見を参考にしていないだろうか?
 マスコミも経済評論家の意見は紙面に載せるが、経済学者の意見はあまり載せない。 
 経済学者を信用していない訳ではない。経済学者の権威は十分認めている。
 しかし、学者のお話となると読者が興味を持って読まないと思っているのではないか。
 しかし読者は実に生きた経済には興味がある。
 だからと言って経済学者の話をじっと辛抱して読む努力をする、そこまでの興味がないのだろう。これが今の日本の国民の正直な実態ではないだろうか!
 フランスでは政治の話となるとカフェテリアでも家庭でも、とことん議論する。これは日本の国民性にはない習慣だ。
 しかし景気とか経済的な話となると日本では喫茶店どころか飲み屋でも風呂屋でも挨拶代わりに語り合う。
 日本人ほど経済に関心を持っている国はないと思われる程、経済中心の国である。
 欧米でも旧ソ連邦でも関心は経済というよりも、先ず家族の問題が優先される。
 関心が経済よりも家族の方が強いならば、政治は資本主義よりも社会主義の方に傾いていくだろう。
 『イヤ、論理が反対ではないのか。経済に関心があるからこそ、資本主義だ、社会主義だと関心を持ち、資本主義経済に疑問を持った時に、社会主義に傾くのではないか』と言われそうで、確かに経済という言葉にこだわれば、資本主義経済とか社会主義経済だとか共産主義経済とかの言葉はまったく経済理論の言葉となっている。
 しかし、それらの経済理論は十八世紀の後半になってから生まれてきた言葉であって、それ以前は当たり前だがどこの国にもない。
 つまりそれまでの経済は政治や国家の主役になっていなかったのである。
 例えばかつての日本においては天皇家が支配する国であり、足利家や豊臣家、徳川家等が治める家族主義国家であった。
 そして士農工商という身分制度では、経済に携わる人は主役の立場ではなく、ましてや金儲けを考えて生きている人達は疎んじられる事はあっても、決して尊敬される人達ではなかった。
 これは西洋でもアダム・スミスの「諸国民の富」が出版されて、金儲けが正統化されるまでは同じであっただろう。
 王室国家も皇帝の国も家族が国を治め、豪族の家族が地方の町村を治めていたのだ。
 その様な家族社会を金の力で打ち壊してきたのが近代の歴史という実状で、逆に言えば経済の未発達の国は家族主義が未だ国や地方を支配していると言える。
 つまり資本主義経済はこの様な家族主義国家を次々と破壊してきたからこそ、その反 動として社会主義や共産主義が生まれてきたと言えるのである。
 そして原始社会や原始共産社会とは単純に一言で言えば、家族集落の事に他ならない。
 家族集落が時間と共に大きな広がりを持った集団になってくると、これは民族という言葉で表現されてくる。
 例えば、過去において日本民族という表現が使われる時は、多分に大和民族という意味合いの言葉がもたれ、大和民族という表現は多分に天皇家の血筋の流れの民族という意味合いが秘められている。
 そして民族の頂点に立つ者は王族や皇族であって、資本家達ではない。  資本家や経済人は金の為には国を売ったり、国民を裏切ったりする事はあるが、王族や皇族にはそれはない。それは王族や皇族は国や国民の主体者だからである。
 それ故、日本国民が経済に 関心を持ち、経済が挨拶代わりに使われるのは、それだけ民族心が薄くなったという事であり、敗戦によって民族の誇りが失ったり失なわさせられたりした事も大きな原因で ある。戦後の教育は質の高い労働者作りという教育方針の中で働くという事が美徳として教えられてきたから、挨拶に・今日も仕事が忙しくてねぇー・が何だか、・今日も天気が良いですねぇー・にだぶって発音されている様に思えるのだ。

現物経済から信用経済へ

金本位制の廃止
 現代世界における経済の根底になる共通の価値はマネーである。マネーは世界の国々が独自の自国通貨を発行し、為替取引によって各国の通貨を交換する。
 基準通貨に米国の連邦銀行が発行するドルが用いられ、それに対抗してヨーロッパ統一通貨としてユーロが二ΟΟ二年からお目見えする。
 ドルの通貨は紙幣によって作られ、ドル以下のセント単位通貨には金属のコインが使われる。
 かつてドル紙幣は金一トロイ・オンス=三十五ドルという一九三四年以来の固定した公定レートの兌換紙幣であり、米国が多量の金を保有する事によって戦後の国際通貨体制を維持してきた。
 一九六五年の北爆による本格的なベトナム戦争の介入による財政赤字と国際収支の悪化、さらに一九七Ο年に財政の均衡政策によってスタグフレーション(不況下の物価高)の恐慌が起きる。
 その対策として取った金利の引き下げ政策はドルを多量に海外に流失させ、この事は一方的に金の流入をはかり、金の価格を一方的に定めた米国独自の金不胎化政策に大きな障害となって、ついに一九七一年八月にニクソン大統領は金交換の一時的停止を発表した。いわゆるニクソン・ショックである。
 これによってドルが金と交換出来る兌換紙幣でなくなり、ただの印刷物と化してしまったのである。
 つまり、世界の基準通貨であるドルが金という人類の長年の固定した基準価値の裏書きを捨て、金の保有量に関係なく政府の意向によって、どんどんドル紙幣をいくらでも刷れる印刷物となってしまったという事である。
 この事は本来ならばドル紙幣の信頼性が失われ、世界の基準通貨としての資格を失うだけでなく、ドルの価値の大暴落が起きるはずなのだが、現に金、一トロイ・オンス=三十五ドルでドルが金に交換出来るという公約がはずれた事により、ドルは金に対して暴落を起こした。
 つまり、石油ショックの前の七十三年には金一トロイ・オンス=九十七ドルと三分の一近くになり、石油ショック後の七十四年には金一トロイ・オンス=百五十八ドルまで暴落する。
 さらに、第二次石油ショックの七十八年から七十九年にかけては金一トロイ・オンス=百九十三ドルから三百三ドルまで暴落したのであるから、ドルは八年半の間に金に対して八・六分の一以下に値下がりした事になる。
 もし、各国が金本位制を採っていたならば、ドルは同じ様にしてその国々に対して八・六倍以上も値下がりしていた事になり、それはドルの不信認を起こし、ドルはさらに売られて、とても世界の基準通貨と呼べない状態になっていただろう。
 しかし現実的に各国がとった対応は各国も米国に追順して金本位制を廃止してドルに相対的にリンクした為替の変動相場制に移行したのである。
 これによって金だけが値上がりする形になり、金に通貨の概念を与えない様に資本主義者陣営は結束して新たな集団管理通貨体制へと進むのである。
 金本位制では通貨の発行量が増大しても、それを裏付ける金の保有量がそれに見合う だけ増量していれば、通貨のインフレが起きず、物価も安定している。
 又、貿易決済の時、金での大量の支払いが生じても十分に支払う事が出来るならば、それは通貨の信用性と安定を維持する事にもなる。
 金本位制は十九世紀半から二十世紀の前半まで戦争で一時中断された時もあるが、各国が交互にこの制度を執り続け、貿易決済の信用度に大きな役割を果たしてきた。
 特に世界の七つの海を支配したと言われ、アジアやアフリカに大きな植民地を持ち、世界の経済のリーダーシップを取っていたイギリスは金本位によって百年近くも物価を 安定させる事が出来たのであるが、第一次世界大戦の為に金本位制を中断してしまった。
 ところが米国は第一次世界大戦後の一九一九年に世界大戦によって各国が金本位を中断した状況の中でいち早く金本位制に復帰し、イギリスのポンドに代わってドルが世界の基準通貨としての地位を確立したのである。
 それは何よりも金を裏付けたドルの強さであり、しかも、大戦の影響で大幅な貿易黒字による大量の金の保有がドルの価値を一層信用づけ、それ故ニューヨークがロンドンのシティーに代わって世界金融の中心となり得たのである。
 その後、米国経済は一九二九年、十月二十四日のニューヨーク株式の大暴落まで繁栄し続ける事になる。

ドルと石油ショック
 一九二九年のニューヨーク株式の大暴落は世界同時波及して世界大恐慌時代を迎えるに至った。
 不況が米国だけでなく全世界に及んだ為に輸出が不振となり、企業の倒産と相まって米国内には失業者が全労働人口の二十五%から三十%までに及ぶという大事態となった。
 この様なデフレ不況の対策としてジョージ・ウォーレンの通貨拡大・物価引き上げ論は農民層に深く浸透して農民団体を政治的な運動に向かわせる事になる。
 政府は今日の日本の様に日本銀行にあたる連邦銀行による買いオペによって金利を下げたり、政府による銀行救済の為の資金をつぎ込んだりしたが全く効果がなく、農民達が期待した農産物の価格上昇の期待も裏切り、ついに政府が交替してルーズベルト大統領の登場となるのである。
 ルーズベルト大統領はあの有名なニューディール政策を執り、大恐慌による不況を克服したとして今でも世界の経済政策の見本となっている大政治家である。  そしてこのニューディール政策のお手本となったのは当時のイギリス経済学者、ケイ ンズの経済理論である。
 ケインズは金本位制を否定して管理通貨制を唱え、赤字財政による積極的公共投資を 行う事によって雇用の回復が得られるという経済政策を主張した。
 ルーズベルト大統領は就任まもなく金本位停止を行い、ドルの切り下げを断行した。
 その後、金に対してドルを四十%切り下げて一オンス三十五ドルに固定して政府保有の金の価値の再評価を行い、膨大な利益を得る事によって財政力を高めるニューディール政策を押し進めたのである。
 一つの経済理論が効を成せば、その経済理論はまるで自然科学の方程式の様にして後の世代にまで受けつがれる。
 不幸な事に後の世代にとってその経済理論が多くの経済政策の専門家達に教科書通りの盲目的な支援を受ける為に、現状に即した臨機応変な対応や修正が試みられない事である。その様な場合、大抵の多くの試みは失敗する。
 多分にもれず三十八年後のニクソン大統領も又、一九七О年に起きたスタグフレーション対策やベトナム戦争の影響による財政赤字や貿易収支の悪化等の対策としてルーズベルト大統領の時と同じ様にして金本位制の一時停止を宣言して、ドル切り下げを容認したのである。
 ドルは金に対してだけでなく各国通貨に対して暴落し、米国内に激しいインフレーションが起きた。
 それはインフレによる輸入超過、引き締め政策による個人消費の落ち込みと供給過多。ついにスタグフレーションが七十年度よりも酷くなり、失業者は記録的な八○○万人を超す恐慌となってしまったのである。
 私はこのドルショックの時、ヨーロッパ旅行をしていた最中であり、しかも手元にわずかなドルを持って生活している身分ゆえ、ドルがヨーロッパ通貨に対して見る見る内に下落するのを不安と言うよりは驚きをもって体験したのである。
 当時、実質上は一ドル三百二十円だったが、一ドル三百六十円という長き固定相場が崩れて一ドル二百八十円へと急速に進んでしまった。
 このニクソンショックは当時、石油の最大供給地であるアラブ諸国の石油値上げとも関係していた。

 戦後、アジア・アフリカは独立と民族主義に目覚め、アラブ産油国も石油民族主義を掲げて、一九六○年九月、OPEC(オペック)を結成し、メジャー(国際石油会社)の一方的な石油価格決めに対抗する様になった。
 一九六九年九月、オペックの参加国であるリビアにカダフィ大尉(革命時の階級)が革命を起こし、共和制を樹立した。そして、リビアはメジャーに激しく対抗し、ついに原油価格の自主権を得た。
 それを受けてオペックは石油の大幅値上げを決議してメジャーに押し切ったのである。
 米国は既に原油輸入国であり、石油代金の値上げによる大幅な貿易赤字は一九六五年の北ベトナム戦争以来、軍事費増大による国家財政支出の増大に追い打ちをかけた。
 ついに一九七一年から米国は毎年貿易収支の赤字を大幅に出す事がわかり、それに伴って、もし金の流失が大量に起きるとなれば、米国の基準通貨であるドルの通貨供給量を減らさなければならない。
 そんな事になればベトナム戦での戦費の調達に大きな支障が起きるだけでなく、米国内の金利が上がってスタグフレーションが一層酷くなる。
 こうした事情の背景が金本位制停止の政策として現れてきたのだろう。
 これによってドルは通貨の安定性を失いドルの暴落となるのだが、各国も又、金本位制を停止した為に、為替はドルに連動してやがて安定に向かい金だけがドルも含めて各国の通貨に対し単独に値上がりを始める事になる。
 石油産出国であるアラブ諸国は対イスラエル戦との関係から米欧に対抗しており、そ の為、金の裏付けがないドルを基準通貨として当然見ず、従来的な金本位の立場で考えて石油代金のドル決済は、金換算で目減りする事から大幅な石油代金の値上げを行うだけでなく、イスラエルに加担している国々に対しては石油を売らないと脅かしたのである。
 これが一九九三年末頃に起きた石油ショックであり、この戦略によってアジア・アフリカ、西欧はアラブ寄りとなり、日本も追順する事になる。
 しかもイスラエル寄りであったソ連がアラブ側に方向転換した事は米国にとって大変 な軍事的プレッシャーと受け止めたのである。
 結局、米国はベトナム戦でもアラブ対イスラエル戦でも不利な状況に追い込まれ、国際通貨としてのドルの地位は揺らぎ始め、金はドルに対して暴騰するのである。
 かつて日本においても金が一グラム五千円以上の値段をつけたのは単なる金の値上がりと言うのではなく、こうした世界経済の混乱が背景にあったからである。
 そこで米国はドルの威信を取り戻す為に資本主義陣営に結束を呼びかけ、主要先進国首脳会議(サミット)を開くのである。
 そして石油に替わる代替エネルギーの開発と省エネの政策を先進国に押し進めさせて、アラブ諸国に依存するエネルギー政策を転換していく事と世界の基準通貨であるドルの 安定を目指したのである。
 つまり、ドルの暴落は結果的には自由主義経済の信用経済崩壊という共同運命という認識のもとで、各国がドルの安定に必死になって努力させられ、ドルの安定はドルを信用する事に落ち着くというセオリー通りの結果となった。

信用経済とは何か
 これによって国際管理通貨制度は金から資本主義国家同士の連座制という信用経済に移し替わってしまった。
 これは人類の文明の誕生と共に歩んできた貨幣文化とそれによる現物経済の歴史が終 わりを告げ、国家の信用を背景とした信用経済の歴史の歩みに移行したという事を物語っている。
 と言っても、現物経済が信用経済に代わったという事がどれだけの重要な意味を持つかという事は多くの人には良くわからないであろう。
 人によっては単なる『現物』とか『信用』とかの言葉に当てはめただけの事で、学問上の分類用語の様にしか受け止められない人もいるだろう。
 確かに、経済学者がこれを述べたなら整理分類用語として使われ、学生や聴講者はここぞとばかりペンを動かしてノートに書き込む事であろう。それは経済を知る為ではなく試験問題に出やすい経済単語だと思うからである。
 私がここで現物経済と信用経済という言葉にこだわって何行も書き添えるのは、実は 此処こそが従来の経済学とは全く違った新しい経済学だと認識しざる得ないからであり、現在の世界経済を知る上で最も重要な観点をこの言葉が表しているからだと思うからである。
 もちろんこれから私が述べる事は私の知る範囲では経済学者も経済評論家も誰も述べていない様な内容だと思う。 
 もしあったとしたら私の勉強不足であるが、言って見れば非常に冒険的な内容である。
 これを読む読者や主体者側の米国政府が果たしてどう思うかは非常に興味ある問題だが、私の本題であるIT経済学の普及の障害とならなければ幸いである。
 要は、結論から言えばベトナムの北爆開始の一九六五年の米国の貿易収支は五十四億ドルの黒字だったのが、石油ショック後の一九七四年から米国の貿易収支は毎年連続して百億ドル単位の赤字となり、一九七七年からは三百億ドル以上の赤字を続ける状況になってしまったという事。
 これだけでも米国の経済にとっては大変な事であるが、ところが今日、二千年度の米国の貿易赤字は何と四千億ドルにも達するという、一九七○年代とは比較にならない程の巨大なマネーが全世界にたれ流されているという事実である。
 奇しくもケインズは「銀行から千ポンド借りたら貴方は銀行の言うままになるが、一度百万ポンド借りてしまえば今度は銀行が貴方の言うままになる」と有名な言葉を述べているが、かつてアメリカのタイムという有名な雑誌はこの言葉を引用して、ケインズの理論はかなりの部分は当たらないか、現状に会わなくなったかであるが、この言葉だけは今でも真実だとケインズ理論を評してこけおろした事がある。
 もちろん、この米国の貿易赤字を一生懸命助けているのは日本であり、日本という銀行はまさに米国の言いなりになっているのである。
 米国は一九二九年の世界大恐慌をケインズ経済理論を採用したニューディール政策で切り抜けたが、一九六○年代後半から始まった米国産業の凋落、一九七一年の金本位制停止によるドルの暴落とそれに連動した一九七三年から始まる原油の大幅な値上げによる貿易収支の大幅な赤字を幸か不幸か、石油危機とソ連の脅威という資本主義体制の危機感で薄めて更に大幅な貿易赤字を放置することによって、意図せずにケインズの経済論ではなく、何と、ケインズが皮肉を込めた『借金真理』で切り抜けてしまったという感がある。

 しかしそうは言うものの、年間四千億ドルの貿易赤字という数字は一体どこから生まれてくる数字であるかと世界中からため息がでる程の問題である。
 米国のGNP(国民総生産)が毎年平均二~三%増という数字では、三十年経っても三倍以下にしかならず、どう計算してもこの四千億ドルという赤字は担保保障が出来ない返済不可能な数字なのだ。
 確かに金を裏付けとしないドル紙幣はいくらでも政府の思うままに刷られる事が出来るかもしれないが、米国以外の国がそんな事をしたら、それこそ紙幣の紙屑化と貿易の停止という国家破綻の道を間違いなく歩んでいるであろう。
 ところが米国一国でこれだけの貿易赤字を毎年出していながら、今尚ドルは世界の基準通貨として世界に君臨し、二十一世紀の新しい産業であるIT産業のリード役として益々世界中から信頼されているという事実は従来の経済理論では計る事が出来ず、将に何か新しい経済理論が米国政府の頭の中に詰め込まれていると言うしか言い様がない。 
 つまり、米国が超経済大国として世界に君臨し、米国のマネーであるドルが今なお世界の基準通貨として通貨の安定に寄与している以上、既に従来の経済理論では考えられない新しい経済理論が確立している事を我々は認識しなければならないのである。
 それは何かと言えば、これこそが私が前述したところの現物経済から信用経済に移ったという証拠なのである。
 米国の年間四千億ドルの貿易赤字はもはや米国がGDP(国内総生産)では返せない、つまり現物経済では返せないという事を意味するものであり、担保保障がない返済不可能な借金であっても何故、各国が米国に貸し続けたり、米国に対する輸出をさらに拡大しようとするのは、米国に対しての絶大なる信用があるからこそ、可能とも言えるのだ。
 つまり、信用経済という形で世界は米国を中心とした世界経済の中で動いているのである。
 その信用経済を支えているのは一体何か?米国の軍事力か?  いや、それだったら今日、ソ連が崩壊し、かつての様な軍事的危機感がない時代にこれだけの赤字をたれ流せられるだろうか。
 米国が北爆を開始する一九六五年以前を見ても、ソ連の脅威に対し米国の軍事力の強さに大きな信用をよせていた時代があったが、その時は米国の貿易収支は黒字だったのである。
 この事は米国に対する一番の債権者となっている日本の立場になって考えてみれば良く分かる事である。
 つまり、かつての日本が朝鮮戦争やソ連の脅威に恐れて米国と安全保障を結んだりしていた時代ならば、米国に言われるままいくらでも金を貸しただろう。
 けれど、その頃の米国の貿易収支は黒字だったのである。
 ところが今の日本はソ連邦が消滅し、ロシアと友好的になり、又、中国とも国交回復をして経済交流も盛んである。
 北朝鮮も韓国と雪解けの状態となって将に日本国民は平和ボケの真っ最中なのである。
 この様な時に米国の軍事力を担保にして返済されない金を毎年大量に貸し出し出来るものだろうか?
 それでは再一度質問を繰り返すと、一体米国の信用経済を支えているのは何か?!
 もちろん金利ではない。金利はドルが暴落すれば元も子もなくなるからである。
 それならば高金利の旧ソ連邦に黒字貿易をして大量に金を貸し付ければ良い事になる。
 それでは食料や資源であろうか?!
 いや、日本はいざという時は食料の自給自足出来る国である。それを無理矢理、減田されて米国から食料を買わされているというのが日本の偽ざる現状ではないだろうか。
 それではエネルギーや資源であろうか。
 これも旧ソ連邦、特にロシアの方が日本に大量に供給可能な大資源国であり、米国はもはや原油の輸入国となって、日本に供給出来る程の資源エネルギーを持っていない。
 仮にこの様な資源やエネルギーの担保があったとしても、これは現物担保の現物経済となる。決して信用経済ではないのだ。


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科学から芸術へ 五井野正博士

もともと科学者だった私が何故、芸術家となったのか!! それも趣味というものではなくライフワークにまでなったという事に対し、以前の私を知る人の疑問に答える前に人々が抱いている「芸術」と「科学」という観念に先ず言及してみたい。それによってそこから多くの解答がひき出せると思う。
 

1、科学を超えた芸術
 「芸術」と「科学」という言葉のイメージから、それらはまったく違った領域の世界だと専門家のみならず一般の人達もそう理解するのは当然だろうと思う。
 芸術一つとってみても絵画や彫刻、建築、工芸、衣服等それぞれ専門分野があり、さらにそれらは細分化されている。
 又、科学においてもしかり。それ故、様々な芸術や科学の専門家がいる訳でそういう専門の分野で長い間、修練、もしくは研究して独自の世界を確立してこそ芸術家、科学者と一般的にはそう呼ばれてきた訳である。
 ですから、細分化された世界に独自の世界を持って長く居続ける必要があるために、芸術家が科学者となれる訳がなく、科学者が芸術家として大成できる訳がないと決めつけがちであるが、本当にそうなのだろうか?また、本質的に芸術と科学は全く別な存在なのか?!例えば過去においてレオナルド・ダ・ビンチの様に芸術家でもあり、科学者でもあったという事実の例を引き出す程の事でもなく現代において、それぞれの分野が高度化され細分化された今日の時代でも科学と芸術の世界を両立できうるものか、ここではもう一度芸術と科学の原点にふれてみたいと思う。そこで芸術と科学を統一テーマとして試みてみたい。
 芸術と科学というまったく違った分野を一つのテーマとしてとりあげるこの試みは非科学的・非芸術的の様に思われるかもしれないが、それはそれぞれの領域からの目で観ればの事で、大ざっぱに見れば科学は事実を客観的に数量や数値にしてとらえ、芸術は事象を主観的に表現や形象として表わすというとらえ方ができると思う。そしてこの二つの分野は人間生活にとって最も重要な位置を占め、意外な関係において相互に関係し合っている事がわかる。
 例えば、私達の日常的な生活の中で最も基本的な要素に衣食住がある。衣服にしても食物にしても住居にしても、今日の現代人にはかっての古代の生活様式に帰り戻れない程、科学という世界が生活の中に入りこんでいる。科学の力など入りこまない古代人の食生活、とりわけ最も基本的で単純なパン一つとっても現代ではその原料である小麦粉を生産するまでに至る過程において農場でのトラクターや科学肥料、農薬、収穫、選別、粉砕に要する機械設備等、もはや科学の力なしではパン一きれでさえ私達の口にする事は不可能なのである。しかし、科学の力をもってしても、それが数量的、数値的な世界の為、私達の口にするところでは単なる小麦粉を焼いた食料の一かけらにしか過ぎず、現実的には様々な形や色つけをしたデコレイトしたパンが私達の口の中に選択されて入るのである。この様なデコレイションしたパンこそが芸術の分野なのである。私達はこの様な科学的世界のみに作られた単一、均一的なパンを排除し、芸術の分野が加えられた付加価値的なパンを高い値段を出してでも喜んで買い求めるのである。
 もし、科学が科学万能にして芸術を否定するならばそこから生まれる衣食住製品は付加価値のついた芸術性の製品にたいして当然の如く販売競争に負けるであろう。つまり科学製品は安価な代用品にしか人々にイメージを与えないからである。そういう物を作るという意味では芸術家は決して科学者と比してもおとる様な存在ではなくむしろ科学者によって作られたものを最終的な形の製品にするのは芸術家の範疇とも言えるべきなのである。
 科学者の欠点は全ての物を科学的に考え、科学的に作り出し、科学的に使用するという、科学万能主義に陥り易いという事である。確かに科学の進歩が国家を繁栄させ、国家の軍事力や経済力を強くしてきた事に世界の歴史は証明してきた。そういう歴史観の中では芸術など一つの趣味、一つの教養にしかとらえられなかったかも知れない。しかし、歴史はもう一つの事実を証明してみせた。つまり、科学の力を主体とした西欧における近代化産業が生まれた十九世紀、全ての流れが機械化、科学化と進んだその歴史の中で、絵画、彫刻等に見られる様に大きな芸術運動がフランスはパリを中心にしてジャポネズリ、ジャポニズムをきっかけに湧き起こったのである。もちろん、その中心的役割を果たしたのは江戸時代の浮世絵であり、その影響を最も強く受けた印象派の人たちによって推し進められたのである。
 つまり、芸術は科学や産業の上に立って生まれるもので科学と対立して生まれるものではないという事を歴史が証明して見せたのである。十九世紀にフランスのパリで起きた芸術運動がジャポニズムを出発としながらも、科学と対立せずにフランスの伝統工芸や技術を吸収してさらに発展させ、逆に科学文化を味わいの深いものに作り換える働きを為した事は芸術を評価する意味においても非常に重要な意義を持つ。そしてその芸術運動がたちまち全ヨーロッパ中に広まり、さらに大西洋の海をへだてて米国にまで影響を及ぼした事は地球を一つの文化圏として結ぶ歴史ある出来事となったのである。私達はその歴史の恩恵を受け、又実証を科学博物館ではなく、美術館においていつでも見る事が出来るのは幸いというべきものである。
 それ故、博物館と美術館とを対比した時、博物館では時代の優劣や進歩具合がはっきりと物を通して見る事が出来、過去の産物は時代と共に捨てられてきた事を知る事が出来るが美術館では時代の優劣や進歩具合というものは重要な問題ではなく、それよりもその時代の感性、精神、そして文化を学びとる事の方が大事で、それは永遠不滅の美として、技術として残されているのを知る事ができる。
 美術館にあるものはしばしば博物館の中に陳列する事が出来るが、博物館の中にある物を美術館の中に陳列するというのは美的価値観の優劣があって必ずしも可能ではない。
 強いて言うならば、博物館におさめられたものの中で最も美的にも技術的にも文化的にも秀れたものが美術館の中に納められていると言っても過言ではないと思う。
 そういう意味で芸術は科学をしのぐと言えるのである。
 とするならば科学そのものの領域と限界を知り得る人ならばそれを超えた処の延長線上にある芸術に興味を持ち、又そこに新たな世界や願望、そして光を見い出す事が可能である事を知って安心するはずである。
 例えば私が高校時代に科学の大体をマスターして、更に理論と方法論においてその矛盾と限界を知った時から、科学万能主義に疑問をいだくだけでなくその危険性を考えはじめ、そちらの方が重大な意味を持つ事を知った。
 そして、カントが言う人間が求める究極の価値観である「真」「善」「美」を考えた時、科学は真理の探求であっても結果的には公害や環境汚染、核や毒ガスの軍備や近代コンピューター兵器等、科学がなしてきた事は善なる世界の実現や美なる世界の創造といった人間本来が求めている幸福の世界とはあまりにもかけ離れ過ぎている事に人間としてのモラルまで考え直さなければいけないと思う様になったのである。
 確かに国家にとって科学の進歩は国家の繁栄と興亡に大きな影響をもたらすが、それと同時に昨日までの過去の産物は必然的にどんどんと使い捨てゆく運命も兼ね持つ。
 古き道具も家具も古き家、古き町もつまり過去の文化はどんどんと失いつつもそれが科学の進歩なんだと人々が思い込んでゆく時、私達の日常の周囲からどんどん自然がなくなり、自然な物にとってかわって人工のまね物が氾濫し、ありとあらゆるゴミが毎日の如く山や河、海あげくは公園や道路にあふれ始めるのを見るにつけ、これが文化生活なのかと疑問を私自身が抱いたのは閉鎖された高校教育を卒業して社会の空気を吸ってからのことである。
 科学万能主義の教科書で説く理想の社会とはまったく違う世界がお金を中心に渦巻き、そこから生じる結果の世界が醜い姿で社会のすみずみに現れていた。
 小さい頃、お金など流通していなかった私の田舎では、田畑の力仕事は馬や牛によって為され、牛馬は家族同然に飼われていて食肉とするものではなかったし、ニワトリやヤギなども卵やミルクを取るのに飼われていた。そして夏休みになると田舎に遊びに行き、毎日小川に行っては魚取りをしたり、畑に行ってはスイカやメロンを自由にもぎ取って食べたあの幼き頃の唯一の幸福感はいつの間にか科学化という世界の前に消え失せてしまっていたのである。
 つまり、そういう田舎に近代化の波が押し寄せて耕運機の機械類や化学肥料、農薬等の農業に転化し、牛や馬どころか魚もいなくなり、田畑は販売の為の野菜や果物を植え、それでも食えない為に、家族して外に働きにでるという生活に変わってしまったからである。  科学万能主義によって起きる変化は自然のみならず私達の過去の文化や産物、習慣や風俗まで捨て去り、あげくは民族固有の精神、思想の世界まで消し去る程、本当は国家にとって重要な損失の出来事なのだ。
 その様な失われた世界を国家にとって民族にとって人類にとって重要なものを現在に再び復活させるものは科学の力でもなく、哲学でもない。そうした学問の世界ではなく、芸術の世界なのだと私は知覚したのである。そして、それは絵画によって最も可能だと思い、つまり、どんなに巧みな言葉や名言、そして方程式や数字を使ったとしても、科学社会がもたらす弊害を人々に教え理解させるには不十分だからである。そこで World、Interior、Picture、Product、Instructive、Institutionの略語をとってWippiiを誕生させたのである。
 だからウイッピー芸術院とは単なる芸術を学び芸術を創り出すというものだけでなく、芸術という方法を使って科学を超え、科学の弊害を取り除いて過去の失われた人間文化を復活させるという重要な目的を持って創られた機関なのである。
 つまり、芸術は科学と対立するものでなく、時として科学が芸術と対立してきたという事実を認識するからである。日本の場合で言えば芸術の世界であった江戸時代は科学時代をむかえた明治時代によって消滅させられたのである。だから西欧に大きな影響を与えた江戸芸術を再一度見直し復活させる事にこそウイッピー芸術院の使命があると思いここ長年に渡る啓蒙運動と普及活動が今日の江戸ルネッサンスブームの下地となったと思う訳である。
 非科学的で未文化の江戸時代と教えこまれて信じこんできた現代人が、今ここで江戸時代を見直す時に芸術面、特に印象派の人々に大きな影響を与えた浮世絵を通して再認識する事によって江戸文化に興味を持ち評価し直した事、これ自体が私が知覚した芸術によって特に絵画によって科学万能主義を改めさせる事が可能であるという実証なのである。
 そして芸術という世界から科学を改めて認識し直す事によって科学という世界にメスを入れてみたい。


2、モナリザの秘密と次元世界
 先ず今日の科学というものが西欧からもたらされた事は日本人のみならずアジア、米国そして全世界の人々の共通認識だと思う。特にアジア諸国にとって西欧の科学の導入は即、今までの文化、芸術を否定されるだけの強大な力となって入ってきたのである。それだけにアジアの諸国にあった東洋思想というものが科学思想の前に一変に打ち消される程の思想大革命でもあったのだ。そこで科学とは何か?と再一度、考え直して見る必要がある。何故なら科学思想の下に隠されてしまった東洋思想というものを再一度、考えてみる必要があるからである。
 そもそも今日の科学というものは西欧で発展し、それが今日世界中に広まったもので、多くの人達が東洋思考と比較する事もなく、それが全て科学なのだと思い込んでいるふしがある。
 つまり西欧においてはキリスト教的世界観があり、神という概念によってこの世界や人や動植物が説明され、それは聖書の中で語られる事となり、聖書の中で説き明かされない事や悩みなどは信仰という形で神とのマインドによる交流によって学ぶべきものとなっている。それ故、神とのマインドの結果においてキリスト教やイスラム教などが生まれた。
 それに反して中国では道教などに見られる様にこの世を俗世と見なし俗世を離れて深山幽谷に入り、奇山、奇岩を神霊宿るものとして精神的に交流し、自然との一体感、統一観を主とした仙人思想がある。日本の山岳信仰等はこの流れを受けているが、ここでは様々な悩み等の問題は俗世を捨てる事によって解決されるのである。
 この様な中国思想が元という国によってユーラシア大陸全体が支配され、西欧と東洋が一つの文化圏によって結がれた時に東高西低という形で西欧にもたらされ、西欧の人々に精神的自我の確立や自然主義という世界をめばえさせた。それは絵画によってその変化を見る事が出来る。
 教会や絶対君主制の中にとりかこまれなかったユダヤ人や異端と呼ばれた人達は東洋と西欧の間の商業的活動によって、この様な世界観を一早く身につけたのであり、彼等によって先ず神と自然が切り離され、この世界の神の具現化が自然であり、自然から人間は神の概念を実証的に学び取る事が出来ると確信するに至った。やがて自然との統一観を求める事となり、ついには自然を統一する法則、つまり神の概念を数量的に、それも不変的な方程式で表わそうとするに至るのである。
 それが今日の科学の根本の主流を為すものである。人間の場合も神によって作られ、神とのマインドによって向上するという聖書の世界から、人間の肉体を切り開いて個々の部分を調べ、さらに分解して細胞まで調査し、さらに遺伝子や構成物質、つまり蛋白質や脂肪、無機物の素成まで細かくし、終には酸素や水素と言った分子の単体まで分解して解明するという、人間を科学的方法によって分子の領域まで押し進め、分子の世界において始めて自然と同体、つまり分子という世界においては自然も人間も動植物も皆、同じ構成物質からなっているという結論に導かれてしまったのである。この様な科学観が中国の道教思想を基にして、西欧的社会観の中で発展して、再び東洋世界に戻ってきて支配しているという歴史的事実をもう一度再確認する必要がある。そしてさらにこの中国の道教思想をさかのぼらせて古代インドの思想世界、さらにギリシャ、メソポタミアにまで源流を求めてみる必要がある。
 つまり、科学の源流がルネサンスにまで求められルネサンスそのものが古代ギリシャ、メソポタミアの復活でもあるという事、それは中国の道教思想を一度通して過去のルーツ、つまり古代ギリシャやメソポタミアにまでさかのぼったという歴史時間を考えてみる必要があるという事を言いたいのだ。
 歴史学はその時の為政者や時代性によって変えたり覆い隠すことができるが、その点絵画は正直にその時代を描き残してくれる。絵画は絵で描き残された歴史学でもあるのだ。
 例えばルネサンス時代のレオナルド・ダ・ビンチが描くマリアに類似するモナ・リザとその背景に描かれている深山幽谷の山水こそがキリスト教世界観と中国道教世界とが組み合わさった絵画の世界……これこそが東洋と西欧の関係を物語っていると言えないだろうか! 西欧世界が背景の道教思想を通して西暦初年のマリアの世界にまで到達するもしくはさらに時間をさかのぼってギリシャのビーナスまで到達するという時間の流れを物語っていると私には思えてならない。美術研究家はこのモナ・リザのモデルが誰であるかをさかんに重要視する。たしかにそのことは絵画研究を科学的に実証していくには必要なことである。しかし、絵画を芸術の面から理解するにはそれでは十分ではない。つまりカメラのレンズで見るような視点でこの絵画を見るとするならば、この背景の絵は当時、モデルのバックにたまたま飾られていた絵画とも解釈される。これではこのダ・ビンチ描くモナ・リザの芸術性は薄らいでしまう。芸術的価値の評価は同じく芸術性の感性を持った人の眼でなければ不可能で、見る人の眼が作者のと同レベルにまで霊性を高めた場合の視点において初めて同調出来るものである。霊性という言葉を科学的な言葉に言いかえれば"四次元性"という言い方が出来ると思う。モデルが誰であろうとレオナルド・ダ・ビンチの目は現実の写生というよりは霊性の目で描いたと言った方が彼の芸術性を評価するのに重要な意味を持つ。
 つまり四次元的世界があの絵画の中に同時に描きこまれていて、その霊性を高めさせ、さらにその中での女性の微笑は永遠の微笑もしくはこの絵のミステリーがわかるかなというレオナルド・ダ・ビンチの含み笑いが描きこまれているのかも知れないと言えば現代の科学者や画家達は何と思うだろうか。
 つまり芸術家は目の前にある情景を描くのではなく潜在的な洞察力を持ってそれを独自の歴史史観にまで高め、絵画という手段によって表現するという、単なる絵を描く画家とはまったく別な存在だと私は思うからである。
 更に言えば画家はある一つのパターンと習性を持って絵を描くけれども芸術家というものはその様な規律に従わず、自らの霊性に従って対象となる事物の過去と現在と未来を視つめ描く、つまり絵画に時間を与える事によって同じく霊性を持った観客がその絵画の中に時間性を感じとる事によって絵画が生きている様な錯覚を生じさせるという四次元性的な作品となるのである。
 我々が三次元の世界に生きているとすれば、絵画という二次元の世界に時間という四次元の世界を組み込んだ擬三次元の世界を観た時にまるで生きている様な奇妙な錯覚を覚える世界こそ芸術の為せるわざであると言えるし、これが私の芸術観でもあり、その方法によって描いた作品が「鏡の中のホッホ」という作品である。
 つまり、私は二次元という絵画を描く画家でなく、描かれた二次元の絵画の世界を時間という四次元の世界を加え描くという芸術家なのだと自負するのである。それ故私の作品が“生きている”と世界中の人々に驚きを与えたのは、この理由によると思う。
 人物の背景がその人物を物語り、その人物を生かし得る力となるからこそ、人々がその絵を見てマインドが動かされるのであり、そうでないものは、ただ頭の知識のみが動くだけである。絵画と芸術とはそこにおいて次元も働きも存在もまったく違うものであり、それを混同するから芸術を知識のみにおいて認識してしまい、絵画という二次元的な平面の中に留めてしまうのである。
 それは、三次元的な自然を視覚的に二次元の平面の中に描き込もうとしたり、生きている人物を平面に描き表わそうとしたりして、それを芸術と呼んで人々を錯覚させてしまうと、人々は芸術という知識によって描かれた絵画に思い入れをしてしまい、時間の中を動いている私達のマインドが二次元の絵画の中に組み込まれて静止してしまうという悪影響が懸念されるのである。
 動物は正直に絵画には反応しない。知的能力がないのではなく、実証判断に基づくからであろう。人はこの事からも動物にはあり得ない次元が一段と下がる幻覚世界というものが存在する事になる。するとその逆もあり得るととすれば次元が一段と上がる世界も存在する事になる。
 これこそが動物世界にはない未来世界あるいは創造世界という目に見えない世界を見る事が出来るし、作り出す事が出来るのである。しかし、その反面、間違ってしまえば、一次元下がった表面世界の中に落ち込んでしまい、やがて死という時間の止まった世界の中に入ってしまうのである。
 我々人類が作り出した科学というものが時間をとりこめないで投影された現象面だけを追っていたのならば、絵画と同じく次元の下がった世界の中に我々の意識が取りこまれてしまい、やがて時間の止まった世界というものがやってくる事になる。
 例えば我々の社会機構が活力を失い、まるで時間が止まったかの様に保守的になって動きが止まってしまうとか本来我々のマインドは時間と共に霊聖化して進歩していくものであるのが逆に退化して物性化していくとか、その様な二極化つまり、一方は次元が上がり、一方は次元が下がるという現象は天と地、物質と宇宙という二元化現象という形で現われる事になる。
 つまり、我々のマインドが天もしくは宇宙という世界に向け感応したとするならば、それは神というより聖霊化された人のマインドだと言える訳で、その逆にマインドが地、もしくは物質に反応した時、それはそこに留まっている次元の下がったかっての人々のマインドに反応した事と言える訳である。
 すなわちマインドという世界から見れば聖書に書かれている、男は土の塵から作られたという言葉は、神は次元の下がった、土の塵にも等しいマインドをもとの人間に戻したという意味を表わしており、女は人間に戻った骨から、つまり精神から作られたという意味に取れる事になる。
 つまり聖書の説く世界では人間の出発点は次元の低い状態から神の力によって人間に戻り、女は男が本来の人間に戻ってから女としての働きとなるという事を表わしていると捉えられる。それ故、女はその後、神の忠告にさからって蛇の言葉に従ったということは、神の世界を失い、再び元に戻るという結論となる。つまり、誤りの知識、次元の下がる知識、知欲の基であるところのヘビが誘惑した善悪の知識の実を男に与えて共に食らう事によって男と女は再び次元の低い世界に向かいそれによって苦しみを得ながらやがて死して土に戻るという事を述べている。
 ここでは土の塵から作られ、塵に戻る人間と天にいる神、そして聖霊化して天に向かう神の子であるキリスト、つまりいずれ神となるキリストという図式で示される様に天と地の間にある人間、その人間が原罪である善悪の知識の実の害をとり除く事によって天に向かう道と善悪の知識の実の害によって塵に帰る道の二元化の道、つまり二極間の世界が示されている事になる。
 すると人間にとって問題となるのは、次元が下がる善悪の知識の実の実体であって、一体この善悪の知識の実とは何なのかという解明が聖書の解明の中でも最も重要な基本的出発であると言える。
 そこでその問題を考える時、話を元に戻して、動物は実証的だが人間は時に幻惑に落ち入る事があると述べた事に注意して欲しい。
 人間には動物にはない創造的知恵、未来知覚、現実改革能力という次元の高い世界がある反面、逆に次元が下がる表面世界、幻覚幻惑世界というものも存在するという事を述べた。
 この幻覚、幻惑こそがヘビが誘惑した善悪の知識の実という害毒という事になる。幻覚という現象に限れば現実的には麻薬という形で存在しているし、幻惑という現象で見れば人々のマインドを物性化するものという形でこの世界にはあらゆる形で存在しているし、次元の下がるものと科学的に言えば偶像を拝したり、絵や紙に書かれたマンダラを拝んだりしてマインドをその中に入れ込めば、確実に人々のマインドは次元が下がり、やがて死という世界を迎えて物質化する状態が説明される。つまり墓場宗教である。
 又、ヘビが誘惑した善悪の知識の実を知識と考えればヘビを象徴する邪智が誘惑した邪知識もしくは悪知識となる。いずれも次元を下げる知識という事であり、人々を死の世界に向かわせる知識という事になる。
 賢明なる人ならば人々を死に至らしめる知識とは何か?という問いに、私が今まで述べた事から何であるかという大体の答えが見えてくると思う。しかし、早急に結論を出すには危険すぎるのでもう少し論じてみよう。(・・・つづく)

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五井野正 博士 ガン制圧の理論医学

植物に含まれる植物繊維は肉食動物においては消化されないので、腸内において腸壁にこびりつく脂肪、タンパク質を除去する作用をもち、それが腸の消化機能を正常に回復する機能をもっている。つまり、植物は栄養としての価値がない場合でも薬としての機能を持っている事に注目すべきである。植物繊維のこの様な働きがない場合は腸壁にこびりつく老廃物によって、その脂肪に細菌類の増殖が促されて、それが腸壁の表面に炎症を引き起こし、強いては壁面硬直、腫瘍の原因にもなると予想される。
 食生活の習慣は人間の5大系統である酵素系、血管系、内分泌系、免疫系、神経系の中の酵素系に大きな影響を与える。逆に食物が大きく変化すると一時的に酵素の機能に無理が生じる。

 ここでこの様な5大系統のメカニズムの流れの理論を提唱したい。  5大系統の中で最初のメカニズムは消化器系統を司る酵素系である。酵素の力によって体内に入ってきた食物は消化、吸収されて血管の中にはいる。消化、吸収されないものは排便として体外に出される。一方、血液はその中に入った物質や体内の老廃物等を各臓器に送り込み、酸素・養分・水分等の輸送や調節の働きをしているが、内分泌系の主要な働きを為すホルモンの作用によって体内の各器官に必要に応じてバランス良く送り出している。この様に、ホルモンは体内の情報伝達に大きく関わっている為に、現状把握の必要性から大脳との密接な情報のやり取りにも係わっていると推測する。それ故、ホルモンが脳細胞の情報のやり取り、つまり、記憶や判断力等に大きな影響力を及ぼし、又、身体のバランスの維持や運動や能力や体力等に重要な役割を果たすために、若さや精力や頭脳の活性化、明晰化を望むならホルモンの働きを重要視すべきである。このホルモンの情報力によって、細菌やウィルス等、異質な侵入物質に対し、免疫系統にそれが知らされる。免疫系に入ると、まずその主要な働きであるリンパ球は血管の中に入った異質細胞に対し、攻撃を加えて、これを排除する働きをすると同時に神経細胞を通して神経系統に知らせ、骨髄より作られるBリンパ球のさらなる応援や増産などに働きかけ、各器官の連絡、支援体制を作り出す。

 この様な5大系統のメカニズムを図に示すと図・の様になる。           
 
                     
  図・ 「酵素系」・「血管系」・「内分泌系」・「免疫系」(リンパ球)・「神経系」
       

 酵素系で消化されて血管系に入ったもの、いわゆる食物の養分は内分泌系での働きを得て各器官に送られる。
          ---------> 図・
  
  図・ 「酵素系」・「血管系」・「内分泌系」

              
 血管系から入った細菌、ウィルスは内分泌系で判断されて免疫系で排除される。

          ---------> 図・          

  図・       「血管系」・「内分泌系」・「免疫系」      

                              

 ここで問題となるのは免疫系で防ぎきれないガン細胞の場合である。しかし、図・、図・、図・から判る様に2段階で進んだところで排除される事から、ガン細胞は図・の様に内分泌系、つまりホルモンより情報を得たガン細胞が免疫系の監視網をかいくぐって神経系で防御される性質のものだと判断すると、従来の免疫療法だけの考え方では理解しえなかったガンの特性というものを知りうる上で対処し易いと仮定したい。


  図・             「内分泌系」・「免疫系」・「神経系」


 つまり、ガンが成長するにはホルモンが大きな役割を果たしている事は既に知られている事であり、ガン細胞がホルモンより情報を得て免疫系の監視網をかいくぐって神経系の領域まで進んだところで、正常細胞との遺伝子の差異で排除されるものと提唱したい。逆の流れでいえば遺伝子の変異によって生まれたガン細胞は、ホルモンからの情報を取り入れて免疫系の監視をかいくぐり、正常細胞と同じ様に体内で養分やその他を得て無秩序な増殖を繰り返したものが進行ガンと判断する。
 この事からガン細胞の増殖を止め、排除するには免疫系の問題として対処するのではなく、神経系の問題として対処するべきで骨髄の活性化、正常化、神経細胞の活性化、正常化が最優先の課題だと提言する。
 最終的にはガン細胞を処理するには身体全体と神経の活性化によって生まれる体力が勝負のカギとなる。そこでガン治療には神経細胞がガン細胞を認識して体内に抗ガンホルモンを作り出し、ガン細胞だけを正常細胞と選り分けて、養分や水分の補給を止めて死滅化させて体外に排出させる為のより効果的な方法を考えることを提言する。
 以上の様なアイデアに基づいて開発されたのが霊芝等による制ガン治療である。
 つまり、霊芝等に含まれる活性多糖体によるガン治療のメカニズムは、ガン細胞だけに限って養分や水分の補強を絶って死滅化させ、さらに血管の中の老廃物を取り除いて血液の循環を良くし、新陳代謝を活発化して総合的体力をつけさせるという点にある。
 ここで肉食動物が草食動物と違って植物繊維質を消化器系の中で分解、消化できない理由を今度は動物体内で生きているガン細胞に当てはめ、血管系の中で多糖体が分解、消化できないという理由をもってガン治療の理論説明を試みたい。
 キノコは10~60%の非消化性多糖体を含んでいる。霊芝等のキノコ類に含有される水溶性多糖体は胃腸の中で吸収されて、血液中に入り(腸における非消化性の植物繊維が腸壁にこびりつく脂肪タンパク質等の老廃物を除去する働きをもつように)、血管壁の老廃成分を除去する働きをもっていると推測する。
 それ故、多糖体は初期においては、それらの老廃物と共にそこに生息するウィルスを取り除いて血液の流れや浄化に大きな効能を発揮するために、血液系統の不純や老化から来るあらゆる病気に効果があると推測する。またガン細胞の場合は多糖体の一部分を糖分として取り入れたものの(肉食動物が非消化性の植物繊維を取り入れたのと同じ状況に似ていて)、分解出来ずして、その多糖体の大部分はガン細胞の外側にシールドの様に取り付いた状態になっていると提案する。ガン細胞だけが多糖体の一部を誤って取り入れて正常細胞がそうしないのは、遺伝子の違いからくる情報の違いと、激しい細胞増殖の過程で引き起こる誤食であると仮定する。
 神経系の遺伝子に元々備わっている正常情報に対し、ガンは途中からの遺伝子の変異であるから、当然、神経系の情報において差が起こり、内分泌系のホルモンが司る情報においては、分子量が百万以上という多糖体の三重らせんの複雑構造に対し、正常細胞の様に対処出来ないからだと仮定する。この様な理由によってガン細胞は多糖体を消化しきれず、一部分の取り入れられた多糖体の分岐鎖が釣り針のようにガン細胞の中に食い込み、残りの多糖体の部分は糸の様にガン細胞に絡むと仮定する。
 この事によって、釣り針の様な分岐鎖を取り込んだガン細胞は、やがて養分が得られない為にガン細胞の増殖が止まると推測する。しかしながら、シールドはガン細胞の集合体の外側の部分だけの為に、内側のガン細胞集合体はシールドのかからない部分から拡散して増殖する可能性があるが、全体的にシールドがかかった場合は増殖が止まると推測する。


 霊芝類に含まれる多糖体はこの様にしてガン細胞に対してシールドの役目を果たし、ガン細胞の増殖を止める働きだけでなく、シールドによってガン細胞が出す物質が止まる事によってリンパ球が正常反応活性化して免疫性を高め、体力を回復させる働きを持つ複合的な制ガン作用を持っていると提案する。
 この様に制ガン作用を持つ多糖体を化学的に分析すると、β-1,6-D-モノグルコシル分岐鎖があって、水溶性であるβ-1,3-D-グルカンという物質等、分岐鎖をもつ活性多糖体が有効ではないかと推測する。
 そこで、ガン細胞が誤って細胞内に分岐鎖を取り入れてしまった為に、残りの多糖体全体は消化、分解されず、同じ様にして次々と他のガン細胞も分岐鎖一個を取り入れて、まるで頑丈な糸に取り付けられた複数の針に引っかかった魚の群れの様に、ガン細胞集合体の周辺を取り巻いてシ-ルド状になると提案したい。

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ii 人力トランス !! パーカッションソロ / AKI-RA sunrise - Solo Percussion LIVE



















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Rue du Soleil - Roma

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EM  医療の闇

http://hon42.com/emx.html
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http://hon42.com/nikus.html



http://hon42.com/satui.html
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写楽(SHARAKU)in Dakara Ongakuwosuru (ishigaki music festival)











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1960年代の東京













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日本財政は借金漬け

2010年度の政府予算は92兆円を超えた。これは当初予算として過去最高で、このうち国債発行額は44兆3,030億円。民主党政権の借金は自民党時代を超える金額で、このままいくと日本が積み上げてきたグロスの一般政府債務はGDPの200%以上にもなりうる。つまり、日本は1年間に作り出すすべての価値を合計したものの2倍以上の借金を背負っているということであり、財政危機のギリシャの債務が130.2%であることを考えると、日本の深刻さがわかるだろう。

ギリシャの国債の保有者のほとんどが海外投資家であるのに対し、日本は9割以上が国内資金で買われていること、EU加盟の条件を満たすためにギリシャは財政赤字を隠してきたことなど状況は異なるが、日本の財政が借金漬けであるという事実に変わりはない。ではそもそもなぜ、国は国債を発行して借金をしなければならないのだろうか。

「税収が減って歳入が足りないなら歳出の不足分は借金しかない」というのがその答えだろう。だが私の疑問はそういう意味ではなく、借金をするとしても、なぜ「政府がマーケット、おもに銀行からお金を借りなければならないのか」ということだ。

その理由は、政府が自らお金を作り出すのではなく、お金をどこからか借りているためである。つまり、政府が貨幣を発行する権利を放棄し、その貨幣発行権を民間銀行に委託しているのだ。多くの人はお金は日銀(中央銀行)が作っていると思っているかもしれないが、日銀が作っているのはごく一部で、日本経済で流通しているお金の80~90%は、民間の銀行が「貸付」の形で作ったものである。つまり民間銀行は、自分でお金を創造し、それを貸し付けて利子で儲けるという特権が与えられている。

そして経済がつねに右肩上がりで成長し続けなければならないのも、この貸し出しに対してつく利子のためである。返済金額は貸付金額を常に上回る。この上回る部分が利子で、金融業者が無から生み出しているものなのだ。

菅首相は、消費税増税と合わせて法人税を減税するというのだが、日本の大銀行は過去の損失を繰り越して黒字と相殺できる仕組みを利用し、その法人税すら10年以上払っていない。しかしこれ以上に銀行が享受しているのは、お金を無から作り出すこと、それによって利子という利益を手にすることができるという特権である。

この民間銀行がお金を作る仕組みは「信用創造」と呼ばれる。銀行に与えられているこの特権が、増税を必要とし、景気を左右し、私たちの暮らしに重大な影響を与えている。財政危機を解決するには、まずお金を作り出す特権を政府自身の手に取り戻すことだ。国の借金をこれ以上増やさず、また大幅な増税で国民を苦しめることもしないで財政再建をはかるにはそれしかない
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GoogleとCxAが投資する「世界監視システム」

http://wiredvision.jp/news/201007/2010073023.html

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正体不明の被害者意識/メスカリン・ドライヴ











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